本屋とコンピュータ(61)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 『ウェブ進化論』の終わり近くに、少し気になる箇所がある。

 “「シリコンバレーに日本人が少ない理由」(素晴らしすぎた日本の就労環境)が消失し、技術志向の若者たちの間に「言いようのない閉塞感」がひろがりはじめているらしい。シリコンバレーにやってくる若者の数も少しずつだが増加傾向にあることもわかってきた。”(P232

 “シリコンバレーの人口は約二五〇万人(就労者は約一三五万人)。うち三五%が外国生まれ”なのに、“その中で日本人は本当に少ない”(P231)ことを憂える梅田は、“ここ何十年もの間、日本の大企業が技術系大学生・大学院生のトップクラス大半を新卒採用し、自由度の高い研究の場や世界最先端の技術開発プロジェクトに関わる場を与え、さらには終身雇用という安定した好条件(円高が進んだ一時期は世界最高賃金)を提示し続けていた”ことが「シリコンバレーに日本人が少ない理由」だと捉え、“その前提が崩れつつ”あることを、むしろチャンス到来と感じている。そして、シリコンバレーに日本人プロフェッショナルのコミュニティを作ることと、日本の住む若者たちが「シリコンバレーをめざす」のを支援することを柱とするNPO活動を始めた。

 そうした活動自体に異を唱えるつもりはない。シリコンバレーをめざす若者たちをさまざまな面で支援するのを邪魔立てする理由は、ない。ただ押さえておきたいのは、シリコンバレーを目指すことのできる若者はごく一部であり、また、シリコンバレーをめざすという選択肢が、彼らにとっても最上のものとは限らないということである。

 「忌避と思考停止は何も生み出さない」と敢えてオプティミズムを貫く梅田の議論とはすれ違うだけだということは重々承知の上、ぼくがなおこだわるのは、“若者たちの間に「言いようのない閉塞感」がひろがりはじめている”ことの方であり、梅田が(逆説的にかもしれないが)そのことをスプリングボードにしていることであり、そのスプリングボードに乗って跳躍できるのは「言いようのない閉塞感」を持った若者たちのごく一部でしかない、ということである。

 『ウェブ進化論』の中で梅田が指摘しているように、「民主主義」・「経済的格差是正」を標榜し、現在のところもっとも成功しているIT企業であるグーグルが、紛れもないエリート集団でありエリート主義であることを考えても、「言いようのない閉塞感」を持った若者たちの多くを救えるとは思えない。むしろ、「民主主義」・「経済的格差是正」という理念と相反して、「シリコンバレー」は、新しい格差を生み出し、確立し、拡大していく装置になる危険性が高い。

 “権威ある学者の言説を重視すべきだとか、一流の新聞社や出版社のお墨付きがついた解説の価値が高いとか、そういったこれまでの常識をグーグルはすべて消し去り、「世界中に散在し日に日に増殖する無数のウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたった一つの基準で、グーグルはすべて知を再編成しようとする。”(P54

 その基準にグーグルは「民主主義」を謳うが、それでも一つの(ひょっとしたら権威主義よりも強固なしかたで=有無を言わせぬしかたで)序列化を行っていることにちがいはない。すべての序列化は、格差づけを伴い、必ず排除をもたらす。

 ジュンク堂書店池袋本店では、昨年末と今春、『フリーターにとって「自由』とは何か』(人文書院)の著者杉田俊介、『〈野宿者襲撃〉論』(同)の著者生田武志のお二人を招き、トークセッションを行なった。

“雇用をこまぎれに短期化し、人件費を抑え、労働者を好き勝手に使い捨てるためには、必要な時に必要な労働者を円滑に補充できるフレキシブルな―「可塑的」ではない―システムが不可欠”(「フリーターにとって自由とは何か」P37)であるがゆえに、 “資本と国家は、経済効率を上げ剰余価値を稼ぐために、「世帯を支える男性労働者」だけではなく、そこから排除された流動的で不安定な低価格の労働者を必要とした。その意味でフリーター的労働者の起源は、資本制そのものにある。その起源(とそこからの転位)が忘れられている。(同P71)”、“社会的に困難な立場に立たされる、つまり「日本社会の中で居場所がない」若者たちが、文字通りの意味で「社会の中で居場所がない」野宿者を襲うという事実には割り切れない思いがどうしても残る。”(『〈野宿者襲撃〉論』P96)、 “「学校・会社・国家・家族」像の揺らぎの中で、こどもたちは生きるために必要な自分の心理的「ホーム」を損なわれ、同様に「国家・資本・家族」の機能不全に寄って野宿者は物理的「ホーム」を失う。前者の「ホーム」レスが後者の「ホームレス」を襲うという野宿者襲撃は、この両極に立つものどうし、「日本の社会の中で居場所がない」という共通する問題を持つ者どうしが最悪の出会いをするという事態だった。”(同P157)と語るお二人のことばに直接触れたことが、『ウェブ進化論』の終わりの部分に、少なからずの引っ掛かりを感じた原因かもしれない。

   
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© Akira    Fukushima
 2006/08
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