本屋とコンピュータ(63)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 

 毎年夏、新入社員がいくらか日常の業務に慣れてくると、「出版流通』について話してやって欲しいと、新人研修係から頼まれる。ぼくはいつも、ひょっとしたら研修係の意に反して、敢えて日常的なノウハウを離れて、話をする。つまり、新刊や重版確保の方法や、長期委託、常備寄託の意味や具体的な使い方などの話はしない。そんなことは、日々の業務の中で覚えていけばいいのであって、敢えて「研修」として特別な時間を設けるなら、より大きな眼で、出版・書店業界を鳥瞰する機会をつくりたいと思うからだ。何よりも、そうでないと、ぼく自身が面白くない。人に教えるためには、まず自分が勉強しなければならない。元来怠け者のぼくにとって、「新人研修」の場というのは、自分自身の研修のいい機会なのである。

 数年前、特に「再販制」について詳しく話して欲しいと言われたときには、『発行書籍再販と流通寡占』(木下 修 著 アルメディア199710月)と『著作物再販制と消費者』(伊従 寛 編 岩波書店 200011月)を読み、ノートを配布した。どのような制度、問題についても、多角的な見方があること、現状が当たり前でもなく、現行の方法が最上でもないことを知ってもらい、柔軟な考え方を持ってもらう事、大げさに言えば、そうしたことが「新人研修」の何よりの目的だと思うからだ。

 今年は、『増補 出版流通改善試論―取次の立場から責任販売制を考える―」(寺林修著 日本エディタースクール出版部1984)を読み、資料とした。実はさしたる理由があったわけではなく、いつも使っている戸田市立図書館のホームページで「出版流通」のキーワードで検索した中から、何となく選んだだけである。本というものは不思議なことに、そうしたいい加減な姿勢のときに意外な出会いがあるものだ。1984年という出版時期に少しばかり懸念があったが、むしろそれが良かった。

 20年以上前の議論を読むと、出版・書店業界において変わったことと変わらなかったことが浮かび上がってくる。それにより、出版・書店業界の持つ問題の本質が鮮明となり、一方で、現在当たり前と思っていることを、つまり現在の自らのあり様を相対化することも出来る。

 孫引きになるが、寺林氏が引用している次の言葉は、むしろ新鮮に響く。“「昔のように売切買切の実施が理想であるが、今の小売店諸君には出来ない相談だから、その急速実施は困難である故に、次善策として責任販売制を敢行したい」(『出版興亡五十年』小川菊松 昭和二十八年八月)。”(P90)小川氏の発言は「委託口座」や「常備寄託」の発生とほぼ同時だという。

 小川氏の発言を約30年後に寺林氏が引用した1984年当時、やはり「責任販売制」が模索されていた。寺林氏は本書の中で、「責任販売制」に関して、一つの提案をしている。

 “話を簡単にするために極端な場合を想定すれば、書店からの返品はすべて六掛入帖、版元への返品はすべて六・五掛入帖とするのである。換言すれば、版元からであろうと書店からであろうと取次に搬入される商品はすべて六掛、搬出される商品はすべて六・五掛とするのである。”(P190

 つまり、「責任販売制」において、もしも売れなければ、出版社も書店も定価の5%ずつ損をするという仕組みである。一方、取次は10%の口銭を得る。つまり、売れなかった方が取次は儲かる。いわば「責任販売」を全うできなかったことのペナルティとして出版社、書店の双方が差し出した損益が丸々取次に入る、という仕組みである。

 「そんな、馬鹿な!」と出版社、書店ともに口角泡を飛ばして怒鳴りつけるかもしれない。取次の人間の身勝手な発想だ、と声を荒げるに違いない。寺林氏も“こう書くと版元・書店からは猛反発が起るのは目に見えている”と認めている。だがそれに続いて、“が、「経済法則にもとづく規制ないしは制度化を勇断をもって樹立しない限り」(書協案)「責任販売制」が空念仏に終るのは過去すでに実証済みである。”(P190)と続けられたとき、それは確かにその通りだと思う。寺林氏の時代から20余年を経て、さらに証拠は堆積されたともいえる。

 冷静に考えてみると、寺林案は、書店にとってもそれほど悪い話ではない。寺林氏の数値をそのまま踏襲すると、販売時の書店の利益は35%である。一方、売れなかった商品の損益は5%であるから、入荷部数の8分の1=12.5%を販売すれば、トータルで損はしない。(出版社は青ざめるだろうが、)返品率85%でも一応利益は出るのである。(0.35aSx-0.05aS(1-x)≧0 ⇄ x≧0.125 ; a=定価、S=仕入総数、x=実売率)

 これが完全買切なら、正味の分だけ、つまりこの場合は65%を売らない限り赤字となる。(0.35aSx-0.65aS(1-x)≧0 ⇄ x≧0.65 ; a=定価、S=仕入総数、x=実売率)

 10月27日、日書連が取り組む、受注生産、満数配本、完全買切の責任販売による「新販売システム」に協力する形で、講談社が『窓際のトットちゃん 新装版』、『だいじょうぶ だいじょうぶ』を刊行、配本したが、受注部数はそれぞれ11000部、12000部と、講談社が設定した最低ライン各2万部を大きく下回った(「新文化」2666号)。日書連事務局では、「やはり完全買切に対する慎重さが如実にでてしまったようだ。」と言っているらしいが、「完全買切」の条件では、書店が二の足を踏むのは当然である。いかに期待できる本でも、必ず売れる保証はどこにもないからだ。先に計算したとおり、実売率が正味率を上回らなければ、書店は赤字となるのだ。

 もちろん、「話を簡単にするために極端な場合を想定」した寺林案をそのまま採用すべしと思うわけではない。いくつかの弊害はすぐに思いつくし、先の試算はあくまで書店サイドのものであり、出版社の立場は無視している。何より、売れなければ取次が得をする、という構造はどう考えてもおかしい、と感じられるだろう。

 実はぼくは、寺林案を検討することは、出版社‐取次‐書店の役割分担=責任分担についての考察につながると秘かに考えている。そして、「委託制」と「買切制」の中間に、真に有効な「責任販売制」の着地点を見定めることへと。

   
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© Akira    Fukushima
 2006/10
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