本屋とコンピュータ(64)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 

 前回、寺林修氏の「責任販売制」の試案=“版元からであろうと書店からであろうと取次に搬入される商品はすべて六掛、搬出される商品はすべて六・五掛とする”という案を、書店の立場から考えてみた。この場合、書店が利益を出すための実売率は、12.5%以上であった。(0.35aSx-0.05aS(1-x)≧0 ⇄ x≧0.125 ; a=定価、S=仕入総数、x=実売率)

 これを出版社の立場で見るとどうか。

 同じ変数を使うと、出版社の収支=0.6aS-0.65aS(1-x)になるから、これがプラスになる条件を計算すると、

 0.6aS-0.65aS(1-x) ≧0 ⇄ 0.6-0.65 (1-x) ≧0 ⇄ 0.65x≧0.05 ⇄ x≧1/13

 すなわち13冊送品して1冊売れればトントンである。

 寺林試案では、書店は8冊仕入れて1冊、出版社は13冊送品して1冊売れれば赤字にはならない。これは確かに「責任販売制」の名のもと、書店・出版社双方にとって無理のない数字であろう。ただし、それは粗利の黒字/赤字の分水嶺にすぎない。双方ともに人件費ほかの諸経費がかかる以上、実際に重要なのは、利益額そのものである。

 双方の立場で、利益額に関して、委託制、買切制と寺林試案との差額を計算してみると、

 書店;

 委託制の場合の利益−寺林試案の利益=0.35 aSx-{0.35aSx-0.05aS(1-x)}=0.05aS(1-x)

 買切制の場合の利益−寺林試案の利益={0.35aSx-0.65aS(1-x)}-{0.35aSx-0.05aS(1-x)}=-0.6aS(1-x)

 出版社;

 委託制の場合の利益−寺林試案の利益=0.6 aSx-{0.6aS-0.65aS(1-x)}=0.05aS(1-x)

 買切制の場合の利益−寺林試案の利益=0.6 aS –{0.6aS-0.65aS(1-x)}=0.65aS(1-x)

 考えてみると当然のことだが、書店も出版社も、委託制の方が、寺林試案より返品総額の5%、つまり寺林試案の返品の際の取次の取り分だけ、利益が大きくなる。一方、買切制の場合は、書店の方は寺林試案より返品総額の60%だけ利益が小さくなる(=損益が大きくなる)。それに対して出版社の方は、買切制の方が、寺林試案より返品総額の65%利益が大きい。こちらもイメージするのは簡単で、買切制の場合、売れ残った商品の正味分を、書店が負担しているということなのだ。

 講談社と提携した「日書連『責任販売』」について報じている「新文化」1116日号の一面で、日書連の藤原直流通改善委員会委員長は、「本音を言えば、時限再販や歩安入帳、返品許容率など、少しでも書店の負担を軽くし、売れ残りのリスクをなくしたい。しかし、これまで、こうしたことが商慣習として定着していたために、買切制度を定着させることができなかったと思う。マージン拡大には新しい取組みが必要。ハイリスク、ハイリターンで、腹を括って勝負に出た」とコメントしているが、先の計算から言っても、「買切制度を定着させること」を目指す姿勢は、書店サイドの責任者の発言としては奇妙だと言わざるをえない。「責任販売制」=「買切制」という発想は、書店が「責任」のすべてを担うべし、という発想だからである。

 では、相対的に書店、出版社の双方に利益が出る委託制が寺林試案よりやはりいいのかと言えば、そこで割を食う存在が、取次である。

 寺林試案の数字を仮定すると、委託制の場合、取次の取り分は、0.05aS-0.05 aS(1-x)=0.05 aSxである。一方寺林試案では、0.05 aS+0.05 aS(1-x)であり、その差は、{0.05 aS+0.05 aS(1-x)}- 0.05 aSx=0.1 aS(1-x)となる。委託制ではx=実売率が落ちるとそれに比例して取り分は小さくなる。一方x=実売率が落ちると返品が多くなるから作業量はその分大きくなる。つまり経費もかかる。取次が必死になって実売率を上げようとする、すなわち返品率を下げようとするのは、当然のことなのである。

 一方寺林試案では、x=実売率が落ちるとその分取次の取り分が増える。委託制との差も大きくなる。「実売率が落ちる方が儲かるシステムなんてとんでもない」と出版社・書店サイドは怒るであろう。しかし取次にも言い分はある。「商品が行って帰ったら、倍のコストがかかる。」

 だが、実売率が落ちるとコストが増えるのは、書店も出版社も同じである。書店には返品作業が加わり、出版社には受け入れ、保管、再出庫のコストがかかる。

 実は、寺林試案は、取次の役割を現状に即して縮減する視点から生まれた、と言うべきなのだ。寺林は言う。“戦前の商品の流れはすべて「注文扱い」であるから同じ「取次」でもそこには「販売会社」的色彩が非常に濃厚であったのに対し、戦後の「委託・長期・常備」口座扱いという新形態になると同じ「取次」といっても、そこには「物流会社」的色彩を強く帯びてくるという事実である。”(「増補 出版流通改善試論」P106)寺林試案は、取次を物流会社と割り切るならば、納得のいくシステムであり、その場合、“ 「取次における付加価値」とは「投下した労働力の量的集積に対する評価」と定義”(P59)するのは、当然である。

 実は、そうした取引相手を、もう我々書店は持っている。宅配便業者がそれである。宅配システムで送品した商品を、客が受取り拒否して返送された場合、宅配業者からは送返品両方の送料を請求される。客との取引に失敗した書店は、それを負担するしかない。そのコストは、確かに宅配業者が運んだ事実に見合っているものだからだ。

 寺林試案は、取次の機能を、そうした宅配業者のように、物流機能に限定することによって正当化される、とも言える。となると、第一に寺林試案にぶつけるべきは、次のような疑問である。

 取次は、明らかに寡占状態であり、出版販売業界における最大の企業体であり、そのことによって出版販売業界を「牛耳っている」と言っても過言ではない。そのような状況と、取次を物流機能に限定することに、整合性があるのだろうか?裏返して言えば、物流機能に限定したとき、取次は現在のような規模と立場を維持できるのか?

 物流機能に限定した場合、宅配業者をはじめとして、ライヴァルは急増する。着荷日時の確定や遵守などの要求は、今よりずっと高くなるだろう。注文品の「行方不明」(!)など、絶対に許されない。(そうなると、書店現場としてはとてもありがたい。)一方、直取引の増加など、出版物流の構造が変化していく可能性もある。それはそれで面白い展開かもしれないが、物流機能への限定による急速な縮減に、企業体としての取次は耐えられるだろうか?

   
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© Akira    Fukushima
 2006/11
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