本屋とコンピュータ(65)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 寺林修氏の「責任販売制」の試案=“版元からであろうと書店からであろうと取次に搬入される商品はすべて六掛、搬出される商品はすべて六・五掛とする”は、取次を物流機能に限定することと同値であった。そのとき、取次は物を動かす働きに応じた対価を得ることになる。その対価は商品が最終的に売れたかどうかとは関係ないから、取次は実売率に無関心でいい。全くリスクはない代わりに、実売率が上がっても利益が増えるわけではないからだ。

 一方、書店の利益=0.35aSx-0.05aS(1-x)=(0.4x-0.05)aS、出版社の利益=0.6aS-0.65aS(1-x)=(0.65x-0.05)aS( a=定価、S=仕入総数、x=実売率)だから、当然x=実売率に応じて、利益は増減する。出版社・書店双方とも、実売率を上げることに関心を持ち、努力をすることになる。

 「責任販売制」の第一の目的は、返品率の削減(=実売率の伸張)であった。寺林試案は、つまり「出版社と書店の責任販売制」だと言える。取次の責任は回避されているからだ。寺林氏自身が “こう書くと版元・書店からは猛反発が起るのは目に見えている”と認める所以であろう。

 この試案にのっとって、すなわち取次の責任を0とした図式を考えた場合、「責任」は出版社と書店が分担することになる。書店は書店で自店の販売能力に見合った発注を行うようになるし、出版社も返品のないような配本を心がけるだろう(双方とも、実売率100%の時に利益が最大となるから)。それはそれで現状よりもよいことに違いないとは思うが、実際にやってみると、なかなかうまくいかないかもしれない。この方式だと、出版社は注文してきた書店にしか配本できない。1冊も売れなければ書店には損益が発生するのだから、送り付けはできない。その結果販売機会を逃す可能性が高いし、生真面目に受注生産的に刷り部数を抑えれば、単価が高騰し、ますます売りにくくなることもあろう。

 一方、書店の注文数をそのまま採用すると刷り部数が膨大なものになってしまうケースもあるだろう。その場合は、実売率が下がり、双方とも損をするという結果になりかねない。それでは、何のための「責任販売制」か分からない。

 やはり、取次の調整能力が必要なのか?それでは「元の木阿弥」という声も聞こえてきそうだ。しかし、「出版社と書店の責任販売制」を採用するだけでも、出版社・書店双方に実売率向上のモチベーションを与えることは間違いない。販売予想を大幅に上回る注文や、とにかく作って書店に押し込むという無駄の多い戦略は、減っていくだろう。ならば、そこに取次を参画させる際に、取次にも実売率を上げるモチベーションを与える仕組を導入すればいい。

先に述べたように、寺林試案では、論理的には取次は実売率に無関心でいい。行き(納品)も帰り(返品)も取り分は同じだからだ。ならば、取次にも実売率に関心を持ってもらうためには、つまり実売率を上げるモチベーションを持ってもらうためには、行きと帰りで取り分を変えればよいのではないか。例えば、“版元から取次へは六掛、取次から書店へは六・五掛、書店から取次へは六・二掛、取次から出版社へは六・三掛”とすると、取次は、同じ作業で帰りの取り分が行きの五分の一となる。実売ゼロの際の作業効率は、完売の際の六割になるのである。当然実売率には関心が向かう。書店・出版社はといえば、やはり返品となればそれぞれ三%ずつの損益となるから、実売率を上げるモチベーションは保たれる。

 これこそ、「買切制」=「書店の責任販売制」、寺林試案=「出版社と書店の責任販売制」に代わる第三のモデル=「出版社と取次と書店の責任販売制」と呼べるのではないかと思うのだが、どうか。

 こうしたモデルを寺林試案にぶつけるのは、むしろ寺林氏のあるべき取次観に沿うものだとも思う。寺林氏は、取次の根本機能として、(1)配送機能=2冊以上の同一商品を送る作業;新刊書のパターン配本的なもの及び同一商品のまとまった注文に対する処理作業、(2)補給機能=それぞれ異なる商品を送る作業;一冊一冊の客注品の送本作業、(3)金融機能(P22)を挙げたうえで、“「責任販売制」とは取次にとって付帯機能である「情報機能」と「調整機能」の強化である。”(P38)と断言している。それらは、いわば扇の要として、商品内容を出版社から書店に、多くの書店の販売力や特性を出版社に伝達し、出版社の刷り部数と書店の発注部数を最終的に摺り合わせる機能である。寺林氏じしんはすぐさま、“しかし一体、根本機能すら満足に発揮しえていない現在の取次に対し、情報機能とか調整機能という付帯機能をも根本機能と同列に置いて作業せよとは簡単に言えば出来ない相談である。”(P38)と続けているが、「情報機能」と「調整機能」こそ、取次が「責任販売制」に参画する時の最大にして不可欠の要素であることに間違いはない。そして、それらはおそらく、「責任販売制」が成り立つために不可欠な要素でもある。

 そうした機能への成功報酬のため、裏返せば機能不全の際のリスクを担ってもらうために発案したのが、ぼくの先のモデル=「出版社と取次と書店の責任販売制」である。この形になって初めて、言い換えれば業界三者がそれぞれの持ち場で知恵を絞りながら責任を分担して協力する形になって初めて、「責任販売制」は実効性を持つと思うのだが、どうだろうか?

   
トップページへ)

第1回へ

第64回へ

第66回へ

© Akira    Fukushima
 2007/01
営利目的で無断転載、コピーを禁じます。 人文書院