本屋とコンピュータ(66)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 池袋店)

 131日、岩波セミナーホールで岩波ブックセンター信山社社長柴田信氏のお話を伺った。主催は「でるべんの会」、テーマは、「本の街・神保町の再生」である。

 柴田さんは、10数年にわたり、「神保町ブックフェスティバル」を主導して来られた。その中で、神保町を訪れる本の「ハードユーザー」の存在に確かな手応えを覚え、こうした「ハードユーザー」の期待に街全体が応えていくことなしに、凋落も囁かれる「本の街・神保町」の再生、存続はあり得ないと言う。

 今、岩波ブックセンターは、三省堂書店神田本店と在庫情報を共有・開示し、それぞれの店を訪れたお客様の求める本が自店にない場合、即座にその情報を参照し、在庫確認、商品を確保し、お客様への案内をしている。多くのお客様はそのサービスに驚くというが、お客様にできるだけ早く求める本を手にしていただきたいという、現場の書店人にとっては当然のサービスであると思う。ぼく自身、お求めの本が自店にない場合、客注を承る前に、お向かいのリブロさんに在庫を照会することが多い。多くのライバル店が林立していた京都店時代も、そうであった。そうすることによって、そのお客様はまた自店を訪れてくださるに違いないという確信があったからだ。

 思い起こせば、1997年に池袋店出店によって東京進出を果したジュンク堂書店のキャッチフレーズは、「池袋も本の街」であった。もちろん「本の街・神保町」を意識していた。当時のブックカバーは池袋の書店地図で、老舗の芳林堂さん、駅前の新栄堂さん、駅に直結している旭屋さんやリブロさんといった「強敵」を明示し、「池袋にはこんなに沢山の、神保町に負けないくらいの書店群があるのですよ。私たちは今回その一隅に加えさせていただきましたが、是非本好きの方々は、池袋へいらして、いろいろなカラーの書店をお楽しみください。」というメッセージを読者に送った。だから、芳林堂さん、新栄堂さんが閉店してしまったことは、本当に残念でならない。

 さらに遡れば、1988年に京都店がオープンした頃、京都を訪れた地方・小出版流通センターの川上賢一社長は、会社の垣根を超えて集まった多くの京都の書店人に対して、「京都四条河原町界隈は、西の神田神保町たれ!」とのエールを送って下さった。その四条河原町界隈も、京都書院、駸々堂書店(京宝店の後に入った阪急ブックファーストも)、丸善京都店、ミレー書房、海南堂など、多くの書店が地図から消えていった。共に「本の街」を盛り上げていこうと思っていた当時を懐かしく思い出しながら、ぼくにはやはり残念な状況だ。

だからこそ、「本の街・神保町」が元気を取り戻してくれないと困る、とも思う。「神保町」は、全国の「本の街」のモデルであり、目標なのだから。その目標が元気であってこそ、それぞれの地域もまた、元気を取り戻せると思うから。

 「でるべんの会」らしく、講演後質問が相次いだ。

 「『本野町・神保町の再生』のターゲットは?、つまり神保町に引き寄せたい顧客層は?」という質問に対して、柴田さんは迷うことなく「中高年層」と答えた。これまでも神保町を訪れてきた「ハードユーザー」の期待に応えることが何よりも大事だと言う。多くのプロジェクトが狙いがちな「若者層」をターゲットにしても自分たちには無理がある、むしろ「中高年層」を満足させ、街にいざなうことによって、「若者層」も自然とそれについてくる、と柴田さんは自信を持って断言した。

 また、「小川町のスポーツ用品店街、御茶ノ水の楽器店街、秋葉原の家電店街などとの連携は?」という質問に対しては、自分たちはあくまでも「本」にこだわる、神保町交差点を中心とした半径700メートルの「街」にこだわる、そこに多くの人たちの力とアイデアを集中してはじめて、結果として周辺との連携が可能となる、と柴田さんは応えた。「『本の街・神保町』というテーマは、100年前から与えられているのですよ。」

 「本屋の人間にわかることは二つだけ」と柴田さんは言う。売れたという結果と、在庫。売行き予想も、読者への推薦も、本屋の仕事ではない。本屋にわかるそのたった二つだけのことに、今本屋の人間は真剣に、懸命に取り組んでいるか?と柴田さんは問う。その地道な仕事に真摯に取り組む書店だけが、生き残っていくだろう、と。

 三省堂との相互の在庫照会は、その取り組みの実現である。ここ長らく、昨対は上回り続けている、と柴田さんは胸を張る。他の神保町の有力書店―書泉や東京堂との相互在庫照会、世界に名だたる古書店街との連携を視野に収め、小学館、岩波書店などの出版社、明治大学や行政との提携も含めた柴田さんの「本の街・神保町の再生」構想は、もうひとつの「本の街・池袋」にとって強力な「ライバル」の再生であると共に、学ぶべき部分が多い。

 奥様に呆れられながら、毎朝嬉々として書店現場に赴く77才の柴田さん。「特に専門書を扱う書店にとって、大事なのは人ですよ。」と言い切る柴田さんに、名著『ヨキミセサカエル

 本の街・神田神保町から』(日本エディタースクール出版部 1991年)当時と全く変わらぬ姿勢を感じながら、益々の意気軒昂ぶりをうれしく、心から言祝ぎたいと思った。

   
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© Akira    Fukushima
 2007/02
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