本屋とコンピュータ(67)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 大阪本店)

 323日に『希望の書店論』出版記念会兼送別会を開いていただき、25日から引越しの準備に入り、26日に荷物積み出し、27日に着荷・開梱(戸田市民から神戸市東灘区民にかわりました)、29日にジュンク堂書店大阪本店店長に着任。慌ただしく、まさに『希望の書店論』を置き土産として東京を去り、『希望の書店論』を手土産にして大阪にやってきた恰好となった。

 数日間のうちに何人もの取次・出版社の方々の来訪を受けた。「関西は何年振りですか?」と、皆が訊く。1997年秋、京都店を離れて仙台店店長として赴任して以来だから、約十年ぶりである。「大阪へ帰ってこられたのは…?」という問い方に対しては、一応否定する。神戸で6年、京都で10年勤務したが、大阪は初めてだからだ。(不思議なことに、2000年に池袋店に着任したときにも、「お帰りなさい」とよく言われた。首都圏で仕事をすること自体初めてだったのに。東京に集中する出版社の、多くの人たちと親しくさせていただいていたからだろうか。)

 多くの出版人と日常的に交流することができ、特に池袋本店のトークセッションの企画で知り合い親しくなった著者の方々が多くいる東京の地を後にしたことには、正直言って一抹の寂しさはある。だが、関西にも頑張っている出版社、ユニークな著者は数多く在り、連携・協力して面白い企画を立て、実現していく余地は十分にあると思っている。

 何よりジュンク堂大阪本店自体が、1998年オープン当時は日本最大の書店であったし、来日したアンドレ・シフレンが訪れて絶賛してくれた店なのである。その矜持(もちろん決して驕りではなく)はぼく自身店長として持っていたいし、すべてのスタッフにも持っていてほしい。そして地域を見る縮尺を少し小さくすれば、付近には有力な書店がたくさんある。直近は旭屋書店堂島地下街店で、ジュンク堂梅田店も近い。そして紀伊國屋書店梅田本店、旭屋本店、阪急ブックファースト…。大阪駅周辺は、実は書店街でもあるのだ。ところが、そうしたイメージは、何故か無い。

 かつて、阪神間、いや神戸はもちろん姫路あたりまでが、紀伊國屋梅田本店と旭屋本店の商圏だった。その地域に居住する人は皆、本が必要なときには二店を目指して大阪に出た。そもそもジュンク堂書店は、「それではやっぱり不便やろう。」と、神戸に住む読者に向けて、専門書も揃う店を目指して立ち上げられた会社だった(1976年)。その後さまざまな形態の書店が出現し、書店地図も大きく変わったが、それでも改めて見渡せば、大阪駅周辺は今でも充実した「本の街」なのである。そのことを、まずアピールしていきたい、と思う。そのためには新聞・テレビをはじめとするマスコミと積極的に連携していきたいし、サイン会、トークショーなど、読者にとって魅力的なイベントも積極的に推進していきたい。書店同士の横のつながりも必要であるかもしれない。

 講談社の社内情報誌『出版情報』に大型書店の役割について書いて欲しいと依頼され、ぼくは三つの役割を挙げた。「実験場(ラボラトリー)」と「出会いの広場(アゴラ)」と「投資窓口」である。そして、大阪を意識し、「投資窓口」には「キタハマ」とルビを振った。

 これだけ地方分権とか言われているのにいまだ東京一極集中、大阪という街自体が自ら元気が無いと思い込んでいるようにも見える。商都・大阪が、「経済産業省はウチで引き受ける!」と名乗りを上げてもおかしくはない筈だ。大阪が元気にならなければ、日本全体も盛り上がらないと思う。

 もちろん、ぼくたちにできることは、一所懸命本を売っていくことだけだ。地域経済を活性化させる魔法など持っているわけではない。しかし、一冊一冊の本を通じて、読者一人ひとりが知識と情報と、そして勇気を得ることができるのだとすれば、ぼくたちの愚直な仕事も、ささやかな一助となりうるかもしれない。そう信じて、魅力的な「本の街」を目指して頑張っていきたいと思う。

   
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© Akira    Fukushima
 2007/04
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