本屋とコンピュータ(69)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 大阪本店〉

 

 六月上旬、「和歌山県のイハラさんという方から、電話が入っています」という内線が入った。どなただろうと思いながら、どこかで聞いた名前だという思いがかすかに頭をよぎる状態で、電話を取った。『希望の書店論』を読んで、また『新文化』の記事で大阪に転勤したことを知って、是非会いたいと言われる、ぼくとしては誠にありがたい言葉をいただき、「ありがとうございます。私も、是非お会いしたい。イハラさんのことは、最近誰かが褒めているのをはっきり覚えています。ええっと、誰だったか…?」と真正直に応答しながら、ようやく思い出した。

 「そうだ!この間ぼくも講師として呼んでもらった米子の『本の学校』で青田恵一さんが熱く語っていました。行き詰っている書店の人、将来に希望が持てないという書店の人には、是非イハラさんの店を見ていただきたい、と。」

 井原万見子さんは、六月十三日の朝、ジュンク堂書店大阪本店を訪ねて下さった。すぐに3階の喫茶部にご案内し、時の経つのも忘れて2時間以上話し込んだ。井原さんは、快活で、エネルギッシュで、予想通りの素敵な女性だった。

 “和歌山の山の中にある「イハラ・ハートショップ」は、日本一すごい店かもしれません。」(永江朗)「私の今までの常識からすると、絶対に成り立つはずがない書店です。」(青田恵一)と、屈指の書店観察者の二人が共に絶賛する(『論座』2007.4号「全国150店 珠玉の「町の本屋さん」!」)井原さんの店は、美山村という人口2千人ちょっとの山村にある。“近辺には約50世帯、100人しか住んでいない。(『棚。は生きている』青田恵一著 青田コーポレーション出版部 P225) 商売そのものが成り立ち難い立地で、実際小売店がどんどんなくなっていった。客の求めで、イハラ・ハートショップは扱い品目をどんどん広げてきたという。“20坪のうち、6割が本で、4割が食品・雑貨などの物販。物販は、乾物類、オカシ、ウドン、しょう油、塩、タバコ、種、マスク、ポリ袋、洗剤など、生鮮品以外はなんでもある雰囲気。”(同P225

 それでもイハラ・ハートショップの主力商品は間違いなく本、特に児童書なのだ。“ジャンルにかかわらず、店の商品は店長がそれぞれの理由から選んだものだが、とくに児童書は厳選している。棚も面も平台も、その場所にある「一冊の本」は、なんらかの事情で見込まれて、この山の店を訪れたのだ。”(同P227)学校で、子供たちに図書館が購入する本を選んでもらう選書会も、イハラ・ハートショップを支える太い柱のひとつだという。

 最初は、先生方に「子どもは本なんて読まないよ」と言われたが、外の世界に触れる機会が少ない山間部の子どもたちだからこそ、本を通じて様々な世界があり様々な人たちがいることを知って欲しいと願い、自主巡回を続けている。今では、「絵本遠足」といって、遠くから本を買いにやって来てくれる学校もあるという。

 井原さんとお会いした約二週間後の六月二十六日、那覇で沖縄県図書館協会総会の記念講演をさせていただいた。その直前に井原さんに「井原さんとの出会いや、イハラ・ハートショップをどんなふうにご紹介しようかと考え、楽しみにしているところです。」とメールしたら、井原さんは、「ご紹介頂けるのは光栄なことですが、是非、当地の皆さんが望まれるお話を優先させて下さい。<本は人と人とを出会わせるものだ>ということであれば、大丈夫ですけれどね」と返信して下さった。『希望の書店論』、『棚。は生きている』という二冊の本が、ぼくを一人のとても魅力的な女性に出会わせてくれたことは、間違いない。

 “阪神淡路大震災の時、神戸にあるジュンク堂のほとんどは、一旦閉店を余儀なくされた。でも頑張ってかなり早い段階でサンパル店を復旧開店した時、訪れて下さったお客様が口々に「こんなにも早く開店してくれてありがとう。」とおっしゃって下さった、と社長は繰り返し言っています。本来、「こんな大変な中、ご来店くださってありがとうございます。」と言いたいのは、こちらの方なのに……。それ以来、ジュンク堂には、原則的に定休日はありません。”と話した時、井原さんは、事情があって閉店したとき、「あんたとこが閉まっていたら、さびしいわあ。」と言ったおばあさんがいた、というエピソードを語ってくれた。店長も営業も一人でこなす井原さんに、また余計なプレッシャーを与えてしまったかな、といささか反省している。

   
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© Akira    Fukushima
 2007/07
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