本屋とコンピュータ(70)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 大阪本店)

 724日(火)の夜、長年来の論敵=盟友である湯浅俊彦氏の依頼により、「出版学会関西部会」で、講演をさせていただいた。演題は「大型書店から見た出版の現在『希望の書店論』を刊行して」、場所は関西学院大学梅田キャンパスである。

 開演時間となって「客席」を見ると、旧知の関西の出版社の人たちが多く集まってくれている。そこで、約10年前に京都店を離れたあと、仙台、東京池袋でぼくが何をしてきたか、出版―書店業界について何を思ってきたかから語り始めた。内容は、当然このコラムとも、その期間に上梓した『劇場としての書店』(新評論)、『希望の書店論』ともダブる。図書館関係の人たちとの交流や、トークセッションなどをきっかけに知り合った多くの書き手についても話した。

 本題に入ってのメイン・テーマは、いわば演題を逆さにひねったような感じで、「出版の現在における大型書店の役割」となった。

 役割の第一は、まさに自著のタイトルと同じ「劇場としての書店」である。こう言うときの眼目は、あくまで主役は読者であること。書店に訪れる読者こそ、さまざまなモチベーションを背負ったドラマの主役であり、だから、ぼくは「案内人」という腕章をした黒子なのだ。

 次に、「工房としての書店」。書物は販売することによって読者の手にわたって初めて意味を持つ(商品として完結する)という意味で、随分前から「書店は出版という営為の最終段階」と主張してきたが、2000年に仙台店から異動した池袋本店では、少し違う意味での「工房としての書店」を味わった。池袋本店で行ったトークセッションのいくつかが、そのまま書籍の形で刊行されたのだ。本を通じての人と人の出会いの場であること、書き手、作り手、読み手が、(売り手を介して)集う場としての書店であることを何よりも目指すぼくとしても嬉しい経験だったが、一方でトークセッションが閉じられた円環の中で完結しないこと=安全な「共同体」に守られないこと=いつでも異質な人が入ってこれること、そしてそのことこそ、書店という開放された空間(敢えて“「予定調和」のネット書店ではない空間”と言おう)の意義だということも教えられた。

 そして、「実験場(ラボラトリー)としての書店」。図書館の書棚の「古さ」を実感したのがきっかけだ。それは図書館に対する書店の優位を主張しているではなく、本と読者を出会わせる場としては共通している図書館と書店の役割分担を言いたいのである。委託商品の展示場である書店と、収集した資料を返したり破棄したりできない図書館では、新進の著者に対する見方について、タイムラグが生じるのは仕方がない。だからこそ、図書館関連の講演では、いつも「図書館の方々も是非書店に足を運んで下さい。そして、知らない著者の商品が書店で平積みになっていたら、遠慮なく、書店員に聞いて下さい。」と言い続けてきた。

 最後に「投資窓口(キタハマ)としての書店」。“パトロニズム”という観点から見ると、再販制、定価設定の経済学の常識からみれば真逆な状況(需要が多いほど安くなる)など、出版・書店業界の特殊性が、説明できる。そこは、読者という投資家が、著者(等)に対して投資をする窓口なのだ。トークセッションを通じて仲良くなった森達也という書き手に思いをはせるごとに、そうしたイメージはリアリティを持つ。森さんは、もともとドキュメンタリー映像作家。ただ、その余りに独創的な(それゆえ魅力的な)企画が、広告収入や視聴率が絶対であるテレビの世界では、通らない。そこで取材した内容を、本にしてきた。これらが、面白い。本という媒体は、3000人位の読者が見込めれば、成立するのだ。本を買う読者は、作家に対する超小口投資家と言える。書店という空間は、そうした投資家を集める窓口なのである。

 最後に、67回目のコラムで書いたように、「大阪はこんなにも『本の街』なのに、誰もそれを自覚せず、喧伝しない。大阪駅周辺には、かつての京都河原町界隈にも神田神保町にも負けないくらい、書店がある。本を求める人たちが、『とりあえず大阪に行ってみるか』というようなイメージ戦略を打ち出していきたい。」という思いを訴えた。そして、紀伊國屋書店梅田本店から堂島のジュンク堂書店大阪本店まで、「書店めぐりのプロムナード」を模索している、という話をした。

 二次会の席上、ぼくの隣には大阪市立大学大学院の北克一先生(湯浅氏の恩師)が座られた。北先生は、ぼくの「書店めぐりのプロムナード」を面白がってくださり、同時にぼくが、「池袋との違いは、近くに大学が無いことです。このことは、客層、本の売れ方、アルバイト応募の少なさから、強く思い知らされました。」と言うと、「確かに、大阪市内に、大学はないんです。」と頷き、嘆息された。大阪市立大学も、確かに大阪市内にあるとはいえ、阿倍野・杉本キャンパス共に環状線の外側である。「大阪市の大学」でグーグル検索しても、10校を少し越える程度。大阪駅近く、「本の街」近くには、皆無だ。が、今回ぼくが講演をさせていただいた関西学院大学梅田キャンパス(茶屋町)など、飛び地のような空間はいくつかある(北先生からワークショップでの講演を依頼された大阪市立大学大学院創造都市研究科は、ジュンク堂書店大阪本店のほん近く、大阪梅田第二ビル6階にある。商都にも、“隙き間”はあるのだ。商都大阪は、懐徳堂や適塾を生んだ地でもある)。

   
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© Akira    Fukushima
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