本屋とコンピュータ(72)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 大阪本店)

 今春、池袋本店から大阪本店に移ってきて、最初の印象が、「なぜこんなに大学生が少ないのだろう?」というものだったことはこのコラムにも書いたし、人から聞かれるたびにそう答えていた。その疑問に答えてくれる本に出会った。『大阪経済大復活』(増田悦佐著 PHP研究所)である。

 本書によれば、“大阪市は人口に占める大学生の比率が全国五五主要都市の中で五二位と、四番目に低いという事実”(P74)の歴史的背景として、一九六四年に制定された「工場等制限法」がある。それは、“大規模工場の新増設とともに大学キャンパスの新増設を一定の地域内ではほぼ全面禁止する法律”(P74)であった。その時、大阪の主要大学は、“あまりにもあきらめの良すぎる行動をとった。「いずれは拡大しなければならないキャンパスがいまのまんまの場所にあったら拡大ができない」と見切りをつけて、この法律ができた直後から一斉にキャンパス全体を郊外に移転してしまったのだ。”(P76)対照的に、“東京都心にあった大学は都心にキャンパスがあるということの利点を熟知していたので、キャンパスの新増設ができないということになっても、とにかく最低でも都心キャンパスはそのままの場所で維持する方針を貫いた。厳密に解釈すれば法律違反に当たるような増改築も少しずつやって、都心キャンパスのキャパシティをじわじわ拡大しつづけてきた。”(P75)両者を比較して、著者増田氏は、“大阪人の描く反骨精神に満ちた野党的存在という自画像は、川上哲治監督率いる常勝巨人軍に日本中が熱狂している時代に弱小球団阪神タイガースを応援し続けたというような場面では大いに当たっていた。だが、経済とか社会の根本にかかわるようなことになると、大阪市と地元の財界人たちは、意外なほど従順に国の方針を受け入れつづけてきたのだ。”(P77)大阪人としては何としても反論したいところだろうが、増田氏は、同じことが“東海道新幹線建設計画が「新大阪」という不細工な新駅込みで提案されたとき、この提案をひっくり返すような猛反対運動をくり広げなかったこと”(P200)に言えると、さらに傍証を並べる。確かに、元あった駅に新幹線を引き込めた「東京」「名古屋」「京都」とは、交通の利便性が大きく違う。

 結果的に“大学生の収容能力は高いのだが、あまり便利なところにはキャンパスがないので、大学生の流入超過が人口全体の流入超過に結びつかない。人口流入がないから、新しいシステムも生まれず、求人倍率が慢性的に低水準にとどまる。”という具合に、大学生比率の低さは大阪経済全体にも悪影響を及ぼしてきたのだ。(82)

 その、「諸悪の根源」である「工場等制限法」が、二〇〇二年の夏撤廃された。そのおかげで、“関西地域経済は過去二、三年で画期的な変化を見せて、いまや日本中の大都市圏の中でも設備投資がいちばん活発に進んでいる地域になった。”(P12)と増田氏は本書を語り起こしている。そしてそのことこそ、増田氏が『大阪経済大復活』を唱える所以である。

 余勢をかってというべきか、増田氏は、“梅田、中之島、心斎橋、難波に一校ずつ、合わせて四つの都心型大学キャンパスを!”(第二章のタイトル;P73)と提言する。それは、ぼくたちとしても、大いに賛同したい。専門書の品揃えを売りにしている書店は特に、学生さんや研究者、先生方が書店内をうろうろしてくださる風景が、不可欠なエネルギー源であるからだ。

 増田氏が本書で再三主張している鉄道網の利便性向上も、重要である。JRをはじめ多くの私鉄や地下鉄がひしめき合いながら、それぞれの連絡は利用者に不親切であり続けてきた。大阪が誇る「地下街」の分かりにくさを含めて、本来包容力こそその活力源であった大阪を“知っている人たちだけしか歩きまわれない街にしてはいけない”(P70)という著者の提言には、しっかりと耳を傾けるべきだと思う。

 そもそも大阪は、国内外のさまざまな地域からの物資、情報、文化の流入によって発展してきた、世界有数の都市である。“よそ者に不親切”(P68)などと指弾されるのは、不本意極まりない筈だ。再び「よそ者」にとって魅力的な都市となることこそ、大阪復活の、そして大阪が新たな文化を生み出すための最大の条件であると思う。大学キャンパスの誘致、学び手たちの歓待こそ、その第一歩であると言えないだろうか。

   
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© Akira    Fukushima
 2007/11
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