本屋とコンピュータ(78)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 大阪本店)

 前回書いた通り、『逆接の資本主義』(角川書店)、『不可能性の時代』(岩波書店)刊行記念トークセッションを、大阪本店に京都大学大学院教授大澤真幸先生を招いて五月一七日(土)午後三時から実現できた。大澤先生にはもちろん、ご来場下さった方々に、心からの感謝の意を示したい。会場はほぼ満席で、質問も活発だった。大澤先生からも、‟とてもここちよく話すことができました“とのメールをいただいた。

 ジュンク堂書店PR誌『書標』の依頼で、大澤先生のトークの次のようなレポートを書いた。

 

 最近見た映画、「実録・連合赤軍」と「ノーカントリー」が「追う」というテーマにおいて示唆的です。前者は、追われるものが逮捕拘束されて終息し、後者は「追うこと」そのものが宙づりになる映画だからです。「実録・連合赤軍」では、絶対的な「正義」が「偽装」されるが、「ノーカントリー」では、無目的な殺人という「絶対悪」が捕捉されません。私の言う「理想の時代」と「不可能性の時代」という対照に、見事に充て嵌っています。

 一見極めて「民主主義」的な「多文化主義」は、自ら否定せざるをえない「普遍性」の「空席」に「原理主義」に居座られる脆弱性を持ってしまうのです。

 師見田宗介先生の議論を継承し、私は「交響(シンフォニック)圏」を結ぶ「公共圏(ネットワーク)」を構想しています。ワッツらのグラフ理論を援用したその構想を、私じしんは、結構有効なものだと思っています。

 その最後の部分に、ぼくは特に共振したのだ。ぼくのこのコラムでも、「グラフ理論=六次の隔たり」について触れている(2005年第50回)。

 

 「六次の隔たり」という言葉がある。1960年代、心理学者スタンレー・ミルグラムが、ランダムに手紙を送りつけながら、最終的に一人の友人に辿りつくように設定した実験で、ほとんどの手紙が六回前後の投函で目的の相手に届いた、世界は想像以上に「スモールワールド」だったというのが、「六次の隔たり」である。それを数学的に説明したのが、ワッツらのグラフ理論なのである。

 他者とのつながりには、自ずから強いものと弱いものがある。強いつながりは「クラスター」を形成する。「友だちの友だちは、友だちである」場合が多いのだ。それは、文字通りひとつの「スモールワールド」を形成する。前回述べた「同窓会」などは、その典型かもしれない。 しかし、世界全体をスモールワールドにしているのは、それとは逆の「弱いつながり」だということを、「グラフ理論」は明らかにする。

 “なぜこれが逆説的かというと、強い社会的絆はネットワークを一つにまとめるきわめて重要なリンクのように思えるからである。しかし、隔たり次数に関しては、強い絆は実際のところ、まったくといっていいくらい重要ではない。グラノヴェターがつづけて明らかにしたように、重要なリンクは人々の間の弱い絆のほうであり、特に彼が社会の「架け橋」と呼んだ絆なのである”(「複雑な世界、単純な法則」(マーク・ブキャナン著 草思社)P60)。“「社会的世界の長距離の架け橋である弱い絆は、たとえごく小さな割合しか存在しなくても、隔たり次数に大きな影響をおよぼすのだ。さらに重要なことに、なぜ世界は狭いのかだけでなく、なぜわれわれがたえずそのことに驚きを覚えるのかについても、理由を明らかにしてくれる。結局のところ、長距離を結んでいる社会のショートカットは、世界を狭いものにしているにもかかわらず、ふだんの社会的暮らしのなかではほとんど気づくことがない。”(同P83)

 「隔たり次数」を劇的に小さくするものが、「弱い絆」であるということ、そのことに、ぼくたちの仕事の意義を感じた。だからこそ第50回のコラムを“われわれはさまざまなネットワークを通じて、本を読者に届け、そのことで新たなネットワークの形成に寄与しているのだと思いたい。”と締めたのである。

 

 今年10月、京阪電鉄の中之島線が開通する。われらが大阪本店からすぐの所に「渡辺橋駅」が出来る。徒歩数分である。考えてみれば、京都大学から直近の「出町柳駅」から、直通となる。例えば東京大学直近の「本郷三丁目」と「池袋」の距離と比べるとずいぶん遠いので、「弱い絆」かもしれないが、さまざまな意味でその「弱い絆」が、「隔たり次数」を劇的に減少させてくれることを、期待したい。大澤先生をようやく迎えられた今だからこそ、強くそう思う。

   
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