本屋とコンピュータ(80)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 大阪本店)

『論座』(朝日新聞出版社)が、九月一日発売の「10月号」を最後に休刊されるという。ぼくにとっては、二重の意味で残念である。

 一つには、もちろんぼくが『論座』の購読者・愛読者であったからである。それがいつだったか、何がきっかけだったかは覚えていないが、ぼくは、『世界』から『論座』に乗り換えた口だ。一時「〜を知るための十冊」というブックガイド欄があり、仙台店時代にミニフェアを組むのに重宝していたから、遅くとも98年には「乗り換え」ていた筈だ。

 その頃、思想・心情が変わった訳ではない。情けないことに、(今では逆転したが)総ページ数が『論座』の方が少なかったことも理由の一つだったような気がする。だがもちろん、最大の理由は、コンテンツにあった。『論座』の方が若干バランス感覚に優れ、言い換えれば守備範囲が広いと感じたからだと思う。

 『創』2008/9・10号に「『論座』休刊をめぐる朝日新聞社と言論界の実情」と題されて、編集長薬師寺克行氏へのインタビューが掲載されている。休刊の理由は、「部数の低迷」と「新しい媒体の模索」。よく聞く話だ。確かに薬師寺さんは「どうしても部数で『世界』に追いつけない」ことをボヤいていたし、凋落著しい雑誌>月刊誌>論壇誌という形態が、大きな赤字に目を瞑ってでもしがみつくべきメディアであるか否かは、畢竟発行者の判断に委ねられるしかなく、ぼくら小売が口をはさめる領分ではない。

 それでもあえて「残念」と書くのは、『論座』がメディアとして決して閉塞したり沈滞していたわけではなかったからである。赤木智弘の「『丸山眞男』をひっぱたきたい」は、間違いなく広い範囲で議論を巻き起こした。赤木氏への多方面からの応答も誌上に載り、フリーターやワーキングプアの問題について考え、議論する重要な「座」となりえていたような気がする。

 一方で歴代首相へのロングインタビュー、読売新聞社の渡辺恒雄氏との共闘宣言や、なぜ「正論」「諸君」が売れているのかに真っ向から立ち向かう特集など、朝日新聞社の雑誌としては異例な懐の深さを見せえたメディアであった、と言える。

 「薬師寺:新聞とは違う言論機能を持った、しかも有識者とのネットワークもあるようなものが朝日新聞に必要だということに誰も異論はないです。でも、今の月刊誌という形がいいのかどうかについてはいろいろな意見があった。そして、会社として新しい形があるのではないかという考え方に達したということでしょう。」(『創』2008/9・10号 P108)

「会社として新しい形があるのではないか」、だったら、その「新しい形」とやらの展望を見せて欲しい。メディアって、そんなに簡単に新しく作り上げることができますか?

 「幹部には『論座』の果たしてきた役割を説明しました。言論空間を作って、歴史問題にしても安全保障の問題にしてもいろいろやってきたというコンテンツの部分と、もう一つは、若い学者や文化人らを中心に人材を発掘しネットワークを作ってきたことです。」((『創』2008/9・10号 P110)

 巻頭コラムの三本のうち二本が1975年生れの書き手に任されたり、中島岳志氏はじめ、所謂「ロストジェネレーション」の書き手が、先に挙げた赤木氏以外にも活躍できた場であったと思う。インターネット時代であればこそ、出版―書店業界はこぞって新しい書き手を育てなければいけない状況にある。そこにこそ、我らが業界のレゾン・デートルがあると言える。だからこそ、『論座』という「座」の撤退は、口惜しいのだ。

 ぼく自身が、ささやかながら『論座』に寄稿・参画していたのが、『論座』休刊を残念に思うもう一つの理由である。

 すでに愛読者であった『論座』との、書き手としての最初の出会いは、2003年11月号、『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』(無明舎出版)の書評を頼まれたことである。民俗学を中心にコツコツと学術書の出版を続けている岩田さんを、かねてより尊敬していたし、その思いを、「全国区」である愛読誌に寄せることができるのは、願ってもないことであり、身に余る光栄であった。

 そんな縁もあって、2005年5月号「日本の言論」特集には、トークセッションに関する文章を寄稿する機会をいただけた。

 編集部は、書店にも大きな関心を持って下さり、「やっぱり本屋が好き」(2005年8月号)、「それでも本屋が好き!」(2007年4月号)という二度の特集では、裏方的な参画もさせていただいた。特に後者では、大型店、チェーン店ではなく、地方で頑張っているお店を是非広く紹介して下さい、と主張した。それは昔ながらの駅前、商店街の書店の衰亡が、見事に『文藝春秋』の売り上げ減と比例しているという話を、当の文藝春秋の役員から聞いたからでもあった。雑誌の範疇としては『論座』も他人事ではないでしょう、と。

 出来た誌面は、満足のいくものだった。青田恵一さんと永江朗さんが対談で絶賛し、ご自身寄稿もされた和歌山県の山奥の小さな本屋さん「イハラ・ハートショップ」を一人で切り盛りされている井原万見子さんは、ぼくが大阪本店に赴任して早々ご来店下さり、大いに意気投合した。

 その一つ前の号、「『人文書』の復興を!」特集に寄稿させていただけたのも、光栄だった。長らく人文書を扱い、愛読してきた経緯を振り返った上で、「人文書のレゾン・デートルは、〈オルタナティブ〉の提示だ!」と言い切れたことにも、満足している。

 

 書籍編集に移られた元副編集長の高橋伸児さんが大阪本店に持ち込んで下さったのが、映画『実録・連合赤軍』をテーマとした若松孝二監督のトークイベントだった。今は他社に移られた岩ア清さんが担当されていた「勝見陽一が食べる…」の取材に、ご相伴させていただいたこともあった。

 書き手、読み手、売り手を問わず、多くの人々が、『論座』という「座」で行き交ったことは間違いない。今はその休刊を惜しみながら、そしてその復活を望みながら、そのレゾン・デートルを訴えることしかぼくにはできない。『論座』を通じて交わりを持てた人たちが、とりわけ『論座』編集部の人たちが、『論座』での経験に誇りを持ち、新たなる出版活動に邁進されることを何よりも望みながら。

   
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