本屋とコンピュータ(81)
  

        福嶋 聡 (ジュンク堂 大阪本店)

 9月18、19日に神戸市の神戸学院大学ポートアイランドキャンパスで全国図書館大会が開かれ、ぼくは19日の分科会のパネリストとして招かれた。

 ぼくの出番は午後のパネルディスカッションだったが、盟友にして「論敵」である湯浅俊彦氏(夙川学院短期大学)が基調講演をする朝一番から参加した。分科会のテーマが「図書館と出版流通のシステム化・デジタル化の現状と課題」であり、湯浅氏は博士論文でもある『日本の出版流通における書誌情報・物流情報のデジタル化とその歴史的意義』(ポット出版)に沿って話をされた。著書を拝読し、大阪本店でトークセッションもやったぼくとしては「復習」的な内容だったが、分科会のテーマには相応しい内容で、参加者も熱心に聞き入っていた。(また、お世辞ではなく、短大での講義のせいか、湯浅氏の語りは、更に磨きがかかっている。)

 話はそれるが、図書館に勤める人たちの熱心さには、いつも驚き、敬意を覚える。今回の図書館大会にも、全国から多くの図書館員が集まっていた。三宮からポートライナーに乗り換えた瞬間に、同乗している多くの人が昨日から図書館大会のために神戸に来られている方だと確信できた。これまで、何度も図書館関連で講演に呼んでいただき、二次会などがあったりもして、意識が高く熱心な図書館員の方々に多く会ってきたからかもしれない。ぼくの確信に間違いはなく、多くが同じ駅で降りて、同じ方向に向かった。

 湯浅氏の基調講演のあと、滋賀県高月町立図書館の明定(みょうじょう)義人氏、元川崎市立中原図書館の西野一夫氏が、図書館の現状を踏まえた発表を行った。

 そして昼食を挟んだ午後、ぼくがパネリストの一人として参加するシンポジウム「出版流通のシステム化・デジタル化の中で図書館員の役割を再考する」が、みすず書房の持谷寿夫氏、文化女子大の瀬島健二郎氏の司会で行われた。パネリストは、創元社常務取締役営業部長加藤康雄氏、大阪屋営業部部長池田俊治氏、そしてぼくである。関西の出版社、取次、書店からそれぞれ一名ずつの出席であった。

 最初のスピーチの持ち時間が20分だったので、特にレジュメ等も作成せず出たとこ勝負で参加した怠惰なぼくと違い、あとのお二人はきちんの年表資料を作成して、それぞれの立場から仕事の中でのシステム化・デジタル化について話された。お二人のお話を聞きながら、それぞれ紆余曲折はあれど、システム化・デジタル化については、やはり書店業界は最後であったことを再認識した(もちろん、それぞれの業態の特性があるから、そのことをもって即座に書店業界の怠慢であると思う訳ではない)。

 ぼくは、書籍を販売するためのシステム化・デジタル化と、コンテンツそのもののシステム化・デジタル化を分けて考えるべきこと、その二つを混同しないことを改めて主張した。その上で、『広辞苑 第六版』の売れ行きにも触れながら、「カノン(典拠)」としての紙の書籍の存在意義を訴えたのである。

 例えば、来年裁判員制度が始まったとき、参加した裁判員が紙の六法ではなくノートパソコンで法律を参照しようとする光景を想像してみて欲しい。さまざまな措置が取られ得、また現に取られていることは知っていても、原理的にコンテンツの書き換えが容易な媒体は、「カノン(典拠)」とするには余りに危うい。その点、紙に印刷されたコンテンツは、書き換えが困難であるというその不自由さにこそ、「カノン(典拠)」としての優位性がある。

 あとは、「実験場(ラボラトリー)」としての書店、「書庫(アーカイヴ)」としての図書館という役割分担についての自論を語って制限時間を迎えた。

 その会場にお見えになり、「時間を無視してもう少し喋ればよかったのに。」と言って下さった筑摩書房の菊池明郎社長、東京大学出版会営業部の橋元博樹氏とぼくがパネリストとなり、今回同様持谷氏が司会をつとめるパネルディスカッションが、10月23日(木)に、人文会主催で行われる。「文会40周年記念東京合同研修会 人文書の可能性を探る」の一貫なのだが、このプロジェクトには、全国の人文書担当者100名以上が招待される予定だ。人文会の意気軒昂を寿ぎたい。

 10月2日にそのパネルディスカッションの打ち合わせをしたが、ぼくが言ったのは、本という商品の大事さ、人文書を売る楽しさを、何とか若い人たちに伝えたい、ということだけだった。

 それと、たまたま(というよりも白状すれば人文会のことも意識して)読んでいた『現代思想』20089月号(特集―大学の困難)を引き合いにしながら、大学と人文書の困難が通底していること、そこを打開していかなければならないことも話したいとも語った。

 話は全国図書館大会に戻るが、ぼくにとって印象的だったのは、創元社の加藤さんが、最近の営業部員は、書店を説得するために、販売データの作成にばかり時間を取られて、商品そのものを読まないと嘆いていらっしゃったことだ。そうでないための、つまりはデータ作成の省力化のためのデジタル化だった筈が、逆に出ている。それは書店現場が要求していることでもあるという。となると、書店現場も同じ病弊を持っていることになる。

 ぼくらの商材、つまり飯のタネは、あくまで書籍が運ぶコンテンツである。そのことを忘れぬこと、そして書籍を実際に読み勉強することによって、一人ひとりのスタッフが育つ場、書店がそんな場であることをぼくは望み、目指す。

 

   
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