第三章 サイボーグ学1 ブレインマシンインターフェース

 

 

サイボーグとその現実

ニューロエシックスにおける問いの一つに、脳科学が人間の心や行動に関する理解を深めて、主体とは何かという哲学的な問いの地点にまで踏み込んでいくことが、人間観にどんな影響をもたらすかという問題がある。抽象的でわかりにくい言い方になってしまったが、このことは、こんにちの社会科学や人文学で語られるサイボーグという論点に深く関わっている。なぜなら、科学や技術の領域においては、何ものかを理解するということは、たいてい、その何ものかを、自由に改変したり、再現したり、同じような何ものかを新たに作成したりすることにつながるからだ。すなわち、脳を含めた人体の改変を可能とするテクノロジーの応用という地平だ。

 

 SF小説、アニメーション、映画などに登場するサイボーグは、人体改造によって、(通常は)人間以上の能力を有する人工的な身体を持つ人々として描かれている。その延長線上で義肢が進化し、手足だけではなく全身化することはもちろん、運動器官として働くだけではなく、感覚器官としても機能し、脳や脊髄以外のすべてを置換することになったのが、アニメ『攻殻機動隊』に登場する「義体」と言えるだろう。

 大衆文化のなかに悪と戦うサイボーグ型の主人公が登場する場合、しばしば、サイボーグ化される前の人間そのものとしては重度障碍者であることは興味深い点だ。『攻殻機動隊』のなかでは義体を駆使して活躍する草薙素子であれば、生物学的な身体には幼少時の飛行機事故のためにひどいけがを負っており、全身をサイボーグ化しなければならなかったという設定である[1]

 

 また、人体改造と機械化によるサイボーグの登場する作品の草分けであるTVドラマ『600万ドルの男』(1973年、日本放映1974年)の主人公は、航空事故で瀕死の重傷を負った後に、600万ドルをかけて、左目、右上肢、両下肢をサイボーグ化しているという設定だ。ただし、1970年代は、サイボーグという用語はそれほど一般化しておらず、オリジナルの原語では、当時の先端技術であったエレクトロニクスとバイオ(生命)を組み合わせた用語バイオニクスを人間に適用したという意味で「バイオニックマン」とも呼ばれている。このドラマのスピンオフであり、同様にスカイダイビングの事故後にサイボーグ化された女性を主人公とする『地上最強の美女 バイオニック・ジェミー』の方が、日本ではよく知られているかもしれない。

 『600万ドルの男』のオープニングナレーションでは、実際の航空事故の映像を背景として、次のような経緯が語られている[2]

 

スティーブ・オースチン。宇宙飛行士。

命だけは取り留めた男。

右腕、両足を切断。片目を失う。

だが、NASAのメディカル・スタッフによって人体改造手術。

サイボーグとなる。その費用600万ドル。

左目はテレスコープ。

右腕は銃を曲げ、コンクリートを砕くアトミックパワー。

そして、時速100kmで突っ走る。

超能力(600万ドル)の男。サイボーグ。

 

 重度障碍者にして超人的能力を持つサイボーグ、つまり過剰と欠如の両方向へと逸脱する身体という二重性には、神話的想像力の現代的な表れを見て取ることもできるだろう。英雄神話の主人公は、多くの場合、超人的な力を持つとともに、常人とは異なる身体的特徴や身体障碍をもつ「異形」として描かれるからだ。よく知られた例として、北欧神話のオーディンは、魔術に優れた片眼の神として表される。さらに現代社会においては、神話的想像力だけではなく、「政治的公正さ(political correctness: PC)」のひねりがさらに付け加わっているかもしれない。もし、悪と戦う英雄的主人公が、「異形さ」を持たないアングロサクソンの異性愛の白人男性の姿であったとすれば、そこには女性や有色人種やゲイなどのマイノリティを排除する差別主義的な傲慢さがまつわりつき、ある種の居心地の悪さを感じずにはいられないからだ。そうしたマッチョな主人公の典型である『スーパーマン』(1978年)を思い浮かべるとき、映画のなかでスーパーマンを演じていた俳優クリストファー・リーヴ(2004年に死去)が、現実には、1995年の落馬事故以来、脊髄損傷による四肢麻痺で車いす生活であり、四肢運動補助のためのサイボーグ技術や再生医療の開発を支援する基金を開設した障碍者運動の活動家であることは、物語的な必然性のようにさえ感じられてしまう。

 

 ここで重要なことは、サイボーグが人間以上の能力を持つ存在として表象される場合でも、それは人間の能力を増強(エンハンスメント)する欲望の延長としてではなく、障碍者を援助するための医療技術の展開の結果として示されている点だ。それは脳ドーピングに関して論じたように、テクノロジーによるエンハンスメントは、努力による達成(アチーブメント)や病気の治療(トリートメント)にくらべて、どこか胡散臭いもの、あるいは倫理的に問題含みな事柄と見なされるからだろう。ただし、先取りしておくと、「サイボーグ」という言葉の語源をたどってみるならば、それは必ずしも治療を目的とした医療技術と関連しているわけではないのだが、そのことは次節で考えることにしよう。

 

さて、こんにちの脳科学テクノロジーの医療への応用という面からみて、サイボーグと関わる最先端にあるのが、本章のテーマであるブレインマシンインターフェース(Brain-Machine Interface: BMI)だ[3]。インターフェースとは機器やソフトウェアを互いにつなぐ装置や部分を指しているが、この場合は、ユーザーインターフェース、つまりユーザーである人間と機械をつなぐ入出力部分を意味している。たとえば、細かくて精密な動作を行うことのできる義手や、多くの部品からできあがった複雑なマシンとしての義体が、開発されたとしよう。それらを精巧にコントロールするには、人間が機械に指令する必要がでてくるため、ゲームコントローラーやマウスやキーボードやハンドルを超える優秀な入力装置が求められるだろう。人間にとって、もっとも簡単な入力方法の行き着く先は、入力方法や操作方法を覚える必要もなく、直感的に操作できるシステムであり、さらには、考えるだけで操作できる機械となる。現在のBMIは、究極的には、脳からの情報を特殊なセンサーで直接に読み取り、コンピュータで分析して、そうした機器や義肢や義体の精密なコントロールを可能とする技術を目指している。

 

だが、それだけではない。脳情報の解読が可能になることは、脳による機器の操作とは逆の方向での情報の流れ、つまり、視覚や触覚や聴覚を通じないでの機械から脳への直接的な情報伝達をつくりだすことにもつながる。現在のところ、脳への情報入力という面でもっとも実用化が進んでいるのは、聴覚障碍者の聴覚補助のために体内(内耳)に埋め込まれる人工内耳である。これは、補聴器へのBMI応用であり、小型マイクロフォンによって音情報を電気信号に変換し、内耳に埋め込んだ電極チップを通じて、聴覚神経を直接刺激する装置である。ある人工内耳の利用者の手記(邦訳『サイボーグとして生きる』[4])では、人工内耳のことを知ったときの期待、植え込み手術前の不安、人工内耳に慣れるためのトレーニングの日々、恋人との出会いと別れ、そしてマイクロフォンから聴覚神経に電気信号を伝える部分のソフトウェアの変更(アップグレード)に伴う不快さ、などの超人的ならざる「サイボーグ」の日常生活が描かれている。

 

また、義肢と直接に関連するタイプの情報入力テクノロジーとしては、皮膚での触覚のBMI化がある。把握している物体の堅さや重さを検知して自動的に脳に伝達することができれば、卵のように壊れやすい物をもうまく掴むことのできる義肢が生み出されるかもしれない。

 とはいえ、本章では、サイボーグを通じて身体性を考察する学としてのサイボーグ学の前置きとして、サイボーグ的想像力ではなく、サイボーグを支えるテクノロジーとしてのブレインマシンインターフェース(なかでも、情報出力型のインターフェース、つまり考えるだけで操作できる機械)の現状とそのニューロエシックス的な問題点をたどってみることにしよう。

 

BMIとは何か

 ブレインマシンインターフェースすなわちBMI[5][6][7]は、ヒト脳の情報をコンピュータ解析して(可能であれば)双方向通信することを目指す技術であり、その点からはブレイン・コンピュータ・インターフェース(Brain Computer Interfaces: BCI, [8][9])ブレイン・コンピュータ・コミュニケーション(Brain Computer Communication: BCC, [10][11])などとも呼ばれる。少し技術論的なことがらに入って細かくなるが、人間の脳と機械とを直結するテクノロジーについて、大まかな分類と見取り図を描いてみる。

 

 脳と機械とを直結するテクノロジーは大きく、神経調節(Neural Modulation)と神経補綴(Neural Prosthesis)に分類される[12]。前者の神経調節は、脳や脊髄という中枢神経系に電気刺激によって介入することで、その異常な神経活動を抑制したり、機能不全となった神経回路を代償・刺激したりする技術を指している。その代表例は、パーキンソン病治療などに使われる脳深部刺激療法(DBS)である。これは、脳の深部(頭蓋骨の直下が表面として奥の方)の特定の部分(たとえばパーキンソン病であれば視床下核)に、細い導線のワイヤーをつなげた特殊な電極を差し込んで電気刺激を行い、ふるえや動きにくさなどの症状をやわらげる治療法である。それ以外の病気にも応用が行われているが、とりわけ倫理的な問題があるのではないか、として議論されることが多いのは、強迫神経症やうつ病のような精神障害の治療への応用である。これは、人間の精神状態を機械によって他者(医療者)がコントロールすることへの拒否感に由来していると言えるだろう。なお、こうした脳コントロール技術については、その歴史的な淵源である精神外科の歴史とともに、あとで詳しく考察することにしよう。

 

 いっぽう、脳と機械をつなぐもう一つのテクノロジーである神経補綴は、その名のとおり、感覚系や運動系の機能障害を代償するために脳や脊髄にアクセスする技術を指している。感覚系であれば、実用化されているものでは、さきに紹介したが、聴覚での人工内耳がよく知られている。さらには、聴覚神経ではなく、中枢神経系である脳幹部分に直接に電気信号を伝える聴覚脳幹インプラントも開発されている。まだ、実験段階ではあるが、外界の風景の光信号を電気信号に変えて視神経に伝える働きをもつ眼球の網膜の代用となる人工網膜や視神経をバイパスして脳に直接にその電気信号を伝達する視覚野インプラントもある。まとめれば、感覚系でのBMIの場合、基本的には外界の情報を脳に直接に入力していることになる。

 

 これに対して、運動系での神経補綴は、脳由来情報の出力によって駆動される義肢などを指している。通常にBMIという場合は、この運動系での神経補綴テクノロジーを指している。本稿で扱うのも主として、この意味でのBMIの開発の歴史と現状である。煩雑さを避けるため、とくに断らない場合は、本稿で用いるBMIという語は狭義のBMIすなわち運動系での神経補綴を指すものとする。具体的には、脳のなかでも前頭葉の運動野と呼ばれる部分(四肢の筋肉への運動指令を出す中心)での脳活動をなんらかの機器で記録し、それをリアルタイムでコンピュータ解析して、ロボット義肢(ないし機器)の運動をコントロールするテクノロジーである。

 

 さて、脳活動の記録方法として手術を必要とするかどうかで、このBMIを二つに分類することが実用的だ。その一つは、頭皮上にワイヤー付きの小さい金属プレート(電極)を置いて脳の電気活動を記録する脳波のように無害な手法を用いる非侵襲的BMIであり、もう一つは、外科手術によって頭蓋骨のなかの大脳皮質(脳の表面)に電極を留置する侵襲的BMIである。非侵襲的BMIは、脳幹梗塞や筋萎縮性側索硬化症(ALS)によるロックトイン症候群(意識はあるが、全身の麻痺のため意思疎通が困難な状態)でのコミュニケーション機器として実用化されており[13][14] 、患者への身体的負担も少ないために倫理的諸問題を生じることはほとんどない。これに対して、侵襲的BMIの場合は、たとえば脳腫瘍のような脳そのものの病気ではないにもかかわらず、頭蓋骨を開けて脳に侵襲を加えるというリスクがある面で、とくに倫理的な問題(あるいはニューロエシックス的な問題)があると考えられている。

 

BMIの歴史と展望

 手足などの運動に関連して脳活動が変化するという事実自体は、20世紀の半ば頃から知られていた。それは、脳腫瘍やてんかん患者での覚醒下での脳外科手術のときの実験によってだ。こうした手術は、現在でも行われているものである。脳そのものは触れたり切除したりしても、痛みを感じないため、頭皮の局所麻酔を十分に行えば、患者本人の意識がある状態での手術が可能である。これは、脳は、痛覚神経の最終ゴールではあっても、脳には痛覚神経の末端がなく痛覚がないからだ。術後に運動麻痺や言語障害が後遺症として残らないように、患者本人の言語能力や運動能力を確認しながら、細心の注意を払って脳外科手術を行うためのテクニックだ。

 

 だが、実際のBMIとしての動物実験が成功したのは、1999年と意外に新しい。チェイピン博士とニコレリス博士らのグループが、ラットの脳の運動皮質から得られた電気信号を用いてロボットアームを統御した実験が、BMIに脳科学者の関心を引きつける画期となった[15]。脳に電極を植え込まれたラットは、まず鼻先を使ってレバーを押し下げれば水を飲むことができるという装置で十分に訓練を受ける。そのときの脳活動のパターンをコンピュータに記憶させ、あとは同じパターンの脳活動を生み出せば水が飲めるというルールに変えてしまうのだ。そうすると、ラットは鼻先を動かすことなく、「念じること」で脳活動をコントロールして、水を飲むことができるようになったという。

 

 最近になって初めてBMIが可能となったのは、脳活動を解読して、それをうまく利用すれば、その生物の運動を再現できるという原理は知られていたが、それを現実化するには大量高速なデータ処理の可能なコンピュータの発達が不可欠だったからだ。ただし、このBMI研究の研究に対する米国国立衛生研究所(NIH)を通じた公的資金援助プログラムは、すでに1971年から存在し、1994年から2003年の10年間だけでも、BMI関連機器は19種類も米国食品医薬局(FDA)の認可を受けているという[16]

 

 2006年には、脊髄損傷患者への侵襲的BMIの臨床応用が報告された[17]。この場合は、数ミリ角の剣山のような形の小さな電極を脳に直接に刺して、脳活動を記録して、その信号を利用してコンピュータ画面上のカーソルを動かしたという成果だった。手足の代わりとなるロボットアームを自在に動かすとまではいかないが、少なくともその第一歩ではある。

 

 交通事故などによる脊髄損傷の場合、脳から四肢への運動指令は障害を受ける前と大きくは変化していないが、脊髄でその運動指令がうまく伝わらなくなってしまい、手足の運動の障害を引き起こす。そのため、脳からの運動指令を、脊髄をバイパスして四肢の筋肉に伝えたり、運動指令を解読したりしてロボットアームのような義肢に伝えれば、思い通りに四肢や義肢をコントロールすることも、理論上は可能である。

 

 さて、こうした治療を目的としたBMIを超えて、人間の能力の拡張やエンハンスメントとしてのBMI、すなわち本章の最初でサイボーグとして提示したようなあり方は、運動に関連した脳活動が確認される以前の20世紀の前半にはすでに構想されていたこともまた見逃すことはできない。たとえば、1929年、物理学者であり科学史家としても知られるJ.D. Bernalは、スペースコロニーの可能性を論じた論文のなかで「遺伝子工学、補綴技術的外科、人間と機械を電気的インターフェースで直接に結線すること」の可能性を指摘している[18]。サイボーグ的想像力の系譜といった問題領域については、BMIのような具体的なテクノロジーの発展とは少し離れて、次章で検討することにしよう。

 

 実用的なテクノロジーとして見ると、BMIは、ヒトの感覚ないし運動の機能を代償する機器や技術のなかでも、中枢神経系由来の生体情報の解読や調整によって作動するものを指している。したがって、典型的なBMIにおいては、少なくとも次のような三つの構成要素が共通している。

 

1.  信号記録モジュール:中枢神経系から情報を検出してデジタル化して記録する(通常は電気信号であることが多い)。

2.  データ解析モジュール:記録されたデジタル情報を解読して、機能的に重要な運動パターンに対応するコードを抽出する。

3.  出力モジュール:ヒトに接続されたアクチュエータ(スピーカー、画面上のカーソル、ロボットアーム、義足あるいは本人の筋肉など)が、解読された情報に応じて運動を実現する。

 

 この三要素に加えて、BMIの今後の実用化(とくに義肢の場合)に重要とされるのは、アクチュエータの実際の運動の結果を、可能であれば自然な感覚情報として中枢神経系にフィードバックして、外界の変化に即応した自然な運動を実現するシステムの開発である。その意味では、双方向性の通信能力を備えたBMIが求められるだろう。

 

BMIがもたらす諸問題

 BMIの実用化とそれがもたらす諸問題を考察する上では、ユーザー拡大への三段階で分類することがわかりやすい[19]。現状の第一段階では、患者などを対象とした治療(therapy)として研究開発と実用化が進められる。第二段階となるのは、BMI技術が、「治療を超えて(Beyond therapy)」用いられ、健常人でのエンハンスメント目的で使用される状況だ。近未来に、少数の健常人ボランティアに高度BMI技術が用いられる可能性は、軍事応用[20]において大きいと考えられる。第三はまだ空想的であるが、BMIが一般化し、情報集約度の高い産業(ソフトウェア開発や投資の意思決定など)に関わる人々が、自分の身体を改造して自発的にBMIを利用しようとする段階である。

 

 現在でも応用が進みつつある治療としてのBMIに関わる倫理上の問題は、大筋では従来のバイオエシックスや医療倫理の枠組みで解決可能である。そうした道徳的推論の代表的な方法は医療倫理の四原理という考え方である[21]。第一の原理は自律で、実行可能で他人に害を与えない範囲であれば、自分の身体や人生に関わる決定を、誰にも干渉されずに行う権利を意味している。第二は善行の原理で、専門家としての医師は患者を援助する義務があることを指す。第三は無危害原理で、患者に害を与えないという医師の道徳である。第四は正義の原理で、同じ病状の患者は同じように扱われねばならず、希少な医療資源の分配は公正に行われなければならないという意味である。こうした諸原理に基づいて道徳的推論を行い、諸原理のバランスをとることは、BMIによる治療関連の倫理的問題を考える上で不可欠である。

 

 治療という側面では、BMIに特異的ではないもののきわめて重要な論点として「微妙な副作用(subtle side effects)」を考慮する必要がある[22]。これは、BMIが人間精神の本質と関連している脳という特殊な臓器に介入や改変を加える技術であることに由来している。つまり、通常の副次的な有害作用、たとえば侵襲的処置に伴う感染や神経損傷による機能障害だけではなく、客観的な測定の困難な人格やその人自身の個人性に関わる微妙な心的変化が起きる可能性のことである。BMIではないが、パーキンソン病治療に使われるDBSが、精神症状(とくに情動の変化など)を生じる場合があることは、そうした微妙な副作用の例である[23]

 

 こうした副作用の生じる最大の原因は、BMI技術が未完成であるということによる。中枢神経系での情報伝達は、神経軸索の一つ一つに異なった役割があり、シナプスでの神経伝達物質の種類によって機能も異なる。また、神経発火頻度だけではなく、それらのアセンブリの同期性も情報伝達の重要な要素である。これに対して、現在でのBMIの信号記録モジュールは、神経細胞の数と比較にならないほど少ない電極が配置されたものであって、中枢神経系の情報のごく一部しか拾い上げることができないばかりか、脳と直接接触することで、脳機能に影響するリスクがある。また、感覚フィードバックを脳に電気信号として直接入力する場合には、現在の技術ではターゲットとした神経回路以外にも電気刺激が波及して影響を与える可能性もある。こうした点を解決して、BMIによる治療のリスクを減少させるためには、中枢神経系での情報伝達メカニズムのさらなる解明と、ナノテクノロジーも含めたインターフェース技術開発が求められる。現状においては、心理学や精神医学的な評価も含めた事後的なアウトカム調査や長期の追跡調査が重要となる。

 

いかなる能力がマシンによってエンハンスされるのか

 BMIも含めて、エンハンスメントをめぐる倫理的諸問題への根本的な問いかけとは、社会生活を営む人間にとって、特定の能力のエンハンスメントを「自己決定」することはどういう意味を持つのかという疑問である。「正常」や「健康」を超えた何らかの価値を目指すエンハンスメントにおいて、「より優れて、より強く、より速く」を求める個人の欲望とは、社会的価値観によって欲望させられるという強制の側面を持っていないだろうか。その好例が美容形成外科手術である。こうした外科的処置は、本人(主として女性)自身の「美の追求」への欲望の充足であると同時に、女性の外見的美を高く評価する社会的価値観による有形無形の圧力の帰結とも考えられるだろう。

 

 エンハンスメントに潜在する社会的価値観が暗黙の強制となる危険性を、もっとも根源的に問題化したのは、聴覚障碍の当事者(ろう者)による聴覚障碍児への内耳インプラントに対する厳しい批判だ[24]。聴覚障碍者コミュニティのなかには、自らを、障碍者コミュニティではなく、手話と書記言語というマイノリティ(少数)言語を用いるマイノリティ文化(ろう文化)であると自己規定しているものがある。その視点からは、言語獲得以前の幼児期から聴覚障碍をもつ子どもは、聴覚障碍というマイノリティ文化の正常なメンバーとみなされる。そうであれば、自己決定できない子どもに内耳インプラントを行うことは、善行ではなく、強制的なエンハンスメントであって、音が聞こえる方が望ましいという(健常人だけの)社会的価値観を一方的に押しつけることで許されないと主張したのである。

 

 もちろん、BMIによる義肢の装着に関して同様の論争が生じるとは考えづらい。しかし、エンハンスメントやニューロエシックスをめぐる議論が、「正常」とは何か、社会が進むべき方向性はどうあるべきか、という困難な課題とも通底していることを指摘して本稿を終えたい。個人の身体を改造する技術のエシックスは、より好ましい生を可能とするために人間社会の価値観を改造することを辞さない想像力のポリティクスをふまえたとき初めて、意味あるものとなるだろう。

 

 


[1] 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』(2004-5年、日本テレビ系列)

[2] http://home.t01.itscom.net/fallguy/smdm/smdm-frame1.htm ただし、英語版のナレーションを直訳すると次の通り。「スティーヴ・オースチン、宇宙飛行士。瀕死状態だ。諸君、われわれは彼を改造できる。われわれにはテクノロジーがある。世界初のバイオニックマンに改造できる。スティーヴ・オースチンこそ、そうなるのだ。以前よりも優れた存在になる。より優れて、より強く、より速く。」この主人公には実在のモデルがいる。1967510日に発生した航空事故で重傷を負って片眼を失明したNASAのパイロット、ブルース・ピーターソンである。

[3] 装着可能なロボットスーツによる身体能力増強(たとえば、筑波大学の山海嘉之によるベンチャーであるサイバーダイン社のHALなど)もまた、サイボーグにつながるテクノロジーであるが、脳科学テクノロジーを主題とする本書では扱わない。

[4] マイケル・コロスト著、椿正晴訳、『サイボーグとして生きる』、ソフトバンククリエイティブ、2006年(2005年)

[5] Nicolelis, M.A.: Actions from thoughts. Nature, 409: 403-7, 2001.

[6] Donoghue, J.P.: Connecting cortex to machines: recent advances in brain interfaces. Nat Neurosci 5: S1085-8, 2002.

[7] Lebedev, M.A. and M.A. Nicolelis: Brain-machine interfaces: past, present and future. Trends Neurosci 29: 536-46, 2006.

[8] Wolpaw, J.R. and D.J. McFarland: Control of a two-dimensional movement signal by a noninvasive brain-computer interface in humans. Proc Natl Acad Sci U S A 101: 17849-54, 2004.

[9] Kubler, A. and B. Kotchoubey: Brain-computer interfaces in the continuum of consciousness. Curr Opin Neurol 20: 643-9, 2007.

[10] Kubler, A., et al.: Brain-computer communication: unlocking the locked in. Psychol Bull 127: 358-75, 2001.

[11] Kubler, A., et al., Brain-computer communication: self-regulation of slow cortical potentials for verbal communication. Arch Phys Med Rehabil 82: 1533-9, 2001.

[12] Merkel R, et al.: Intervening in the Brain: Changing Psyche and Society, Springer-Verlag, Berlin 2007, especially Section 3 Central Neural Prostheses

[13] Wolpaw, J.R. and D.J. McFarland: Control of a two-dimensional movement signal by a noninvasive brain-computer interface in humans. Proc Natl Acad Sci U S A 101: 17849-54, 2004.

[14] Birbaumer, N., et al.: A spelling device for the paralysed. Nature 398: 297-8, 1999.

[15] Chapin, J.K., et al.: Real-time control of a robot arm using simultaneously recorded neurons in the motor cortex. Nat Neurosci 2: 664-70, 1992.

[16] Pena, C., et al.: FDA-approved neurologic devices intended for use in infants, children, and adolescents. Neurology  63: 1163-7, 2004.

[17] Hochberg, L.R., et al.: Neuronal ensemble control of prosthetic devices by a human with tetraplegia. Nature 442: 164-71, 2006.

[18] Bernal JD: The World, the Flesh and the Devil, K.Paul Trench and Trubner, 1929. (鎮目恭夫訳:宇宙・肉体・悪魔:理性的精神の敵について、みすず書房, 1972

[19] McGee EM and Maguire GQ: Ethical assessment of implantable brain chips. (http://www.bu.edu/wcp/Papers/Bioe/BioeMcGe.htm20082月確認)

[20] Moreno JD: Mind Wars: Brain research and Natinal Defence, Dana Press, 2006.

[21] Beauchamps TL & Childress JF, Principles of Biomedical Ethics, Third edition, Oxford University Press 1989.(永安幸正、立木教夫監訳:生命医学倫理、成文堂、1997年)

[22] Merkel R, et al.: Intervening in the Brain: Changing Psyche and Society, Springer-Verlag, Berlin 2007, especially Section 7 Conclusions and Recommendations

[23] Deuschl, G., et al.: Deep brain stimulation: postoperative issues. Mov Disord: S219-37, 2006.

[24] Lane H: The Mask of Benevolence: Disabling the Deaf Community, 2nd ed. A. A. Knopf, 1999. (長瀬修訳:善意の仮面:聴能主義とろう文化の闘い、現代書館、2007

 

 

 

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美馬達哉(みま・たつや)/1966年、大阪生れ。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。現在、京都大学医学研究科准教授(高次脳機能総合研究センター)。専門は、臨床脳生理学、医療社会学、医療人類学。著書に、『〈病〉のスペクタクル 生権力の政治学』(人文書院、2007年)。

 

 


© Tatsuya Mima 2009/05
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