第五章 隠喩としての脳

 

ャパニーズブレイン

 第二次大戦に敗北した日本と勝利した米国の間での太平洋を挟んだ一種の合作(「抱擁」)によって、戦後日本が形作られていくことを生き生きと描いた歴史家ジョン・ダワーによる『敗北を抱きしめて』[1]は、2000年度ピュリッツァー賞を受けたノンフィクションであり、日本でもよく知られている。

 

 占領期日本を扱ったその本には、占領の任務のなかに、「日本人の脳(ジャパニーズブレイン)」を根本的に変えることが含まれていたという興味深い一節がある[2]。日本に進駐している連合軍の米軍兵士教育用に作成されたフランク・キャプラ監督の短編映画『日本における我々の役割』(1946年)[3]では、占領時の介入対象としての脳のイメージ(皺だらけの灰色の塊)が登場している。

 

 『或る夜の出来事』や『素晴らしき哉、人生』などの映画で知られるキャプラは、第二次大戦中には、米陸軍に協力して戦意高揚映画を多数作成していた。『日本における我々の役割』は、その延長線上で日本占領の円滑な遂行のために作られた短編教育用映画である。いうまでもなく、ここでの「我々」のなかには、敵国の住民である日本人は含まれず、日本占領の任務に携わる米軍兵士だけを排他的に意味している。

 

 1945年のミズーリ号船上でのポツダム宣言受諾の映像から始まって、米兵が日本の女性や子どもたちとにこやかに語り合う姿で終わる映画は、主として、戦争中のニュース映画とエキゾチックでオリエンタルな日本を表象する伝統的な祭礼のフィルムの断片を組み合わせて成り立っている。民謡など日本の伝統的音楽をバックグランドミュージックとして、その映像にスーパーインポーズして現れ、何度もくり返される脳の映像は、なによりもまず、際だった物質性によって、ひときわ異様な印象を与える。

 

 その映画『日本における我々の役割』のナレーションは、次のように始まる。

 

  「国民は、指導者に従って行動するように訓練されている。我々が直面しつつある問題は、日本人の頭のなかにある脳である。日本には、7000万の脳が存在している。日本人の脳は、世界のほかの脳と異なっていない。すべては同じ物質からできている。我々と同じく、良いこともできるし、悪いこともできる。すべては、脳のなかにある考えによる。」  

 

 フィルムは続いて、米軍兵士たちに、日本人の脳に何が起きたために戦争が始まったのかをわかりやすく教えようとする。赤ん坊や子どもたちの無垢な脳は、我々(米軍兵士)とそう違うものではない、という説明がある。しかし、次に示されるのは、文化の異なる結果として、その教育と発達の過程が異なるということだ。文化としては後進国であるとともに科学技術では近代化しつつある国である日本においては、軍国主義者グループが力を持ち、自分たちに都合の良い「日本人の脳に関する計画」を立てて、その方針に沿った教育が行われたからだ。それは、米国の信教の自由とは似ても似つかない制度化された国家神道を利用したものだった、とされる。国家神道の教義によって、国民の脳は選民思想をすり込まれているというのだ。

 

  「天照大神は、地球上のすべての国民を支配するために日本人を造った。」  

  

 くり返されるこのナレーションと、近代的な軍備で武装した軍隊と正装の神官たちの祭礼とのモンタージュ映像で示されているのは、強力な近代兵器を効率的に操作する近代性と宗教的でファナティックな選民思想の後進性とが結合した二重の存在としての日本人のイメージである。ただし、ダワーも指摘するとおり、これは米国側のプロパガンダであって、当時の日本の指導者層の戦争目標は世界征服よりもかなり控えめだったことはいうまでもない。だが、ここで重要なのは、誇張と戯画化が含まれたプロパガンダが、満州事変に始まる15年間続いた日本の戦争の原因を、(おそらく米国にとって都合の良い)特定の立場から解釈しているという点である。つまり、日本を戦争に駆り立てたものは、世界恐慌の政治経済的打開や植民地獲得競争ではなく、ましてや「アジアの解放」と大東亜共栄圏の建設のためでもなく、「日本人の脳」の問題へと集約されていることだ。

 

 もう一つ、徴候的なのは、日本占領のための教育マニュアル映画であるにもかかわらず、神官と軍隊だけが映し出されて、その最高位に存在しているはずの天皇は戦時中の姿としては直接的には描かれていないことだ。唯一、天皇に関する言及が行われるのは、敗戦後での「人間宣言」についてである。戦争責任に関わる問題において天皇が名指しされないことは、ダワーが指摘するとおり、戦争末期での連合軍占領方針の転換(天皇制を温存した間接統治を行う)によるのだが、「日本人の脳」とは直接に関連しないため、ここでは詳しく触れることはしない。

 

 さて、映画のなかで、この「日本人の脳」に対処するための米軍兵士の役割とされるのは、占領によって日本を脱軍事化し、第二次大戦を「日本の最後の戦争」とすることであり、国民の後進性を利用して無謀な戦争を引き起こした軍国主義者を排除することだ。その後には、「我々が我々自身であることによってアメリカ的なやり方やデモクラシーを示すこと」、「正直な人々を選んで、我々の考えの方が、日本の考えよりも優れている」と証明することが、その役割とされる。そうすれば、日本人たち自身が近代的な文明を発展させる仕事を引き受けるだろうという楽観的予測のナレーションによって、15分あまりのフィルムは終わる。

 

 この映画の根底を流れる価値観には、19世紀以来の植民地主義における「白人の責務」の発想から現在のイラク占領政策まで続く米国の高慢と独善が現れていることはもちろんだろう。だが、その人種主義的な言説のなかに、日本人そのものではなく、「日本人の脳」が登場して問題化されることは、いったい何を意味するのだろうか。ここでは、その問いを通じて、社会における「脳」という隠喩を考察してみよう。

 

日本人の構築と人種主義

 戦争や内戦など国家間あるいは国家内のエスニック集団間の緊張状態が高まったとき、他国民や他のエスニック集団への人種主義的な憎悪が増大することがある。また、戦争や内戦で利益を得るグループが、マスメディアを通じて意図的に、こうした憎悪を高めるようなプロパガンダを行う場合もある。

 

 とりわけ、勝利のためには人口や経済などの国力のすべてを注ぎ込むことが必要となる総力戦の時代には、国民を総動員するための社会心理学的な戦略として、人種主義的な主張が徹底して用いられることがあった。ナチスドイツの「アーリア人神話」と反ユダヤ主義は、その典型的とも言える例である。太平洋戦争期の日本における「鬼畜米英」のスローガンもよく知られていよう。だが、こうした人種主義は、第二次大戦の枢軸側に限ったことではない。今日に至るまで、欧米の立場から日本と日本人を蔑視する人種主義的な言説や映像には、「黄色いサル(イエローモンキー)」が登場する。それは、欧米の文化や技術を盗んで猿まねするしたたかな存在と見なされ、小柄で出っ歯で眼鏡をかけた人物というイメージとも結びついている。日米間の太平洋戦争での人種主義の役割を検討したダワーの『容赦なき戦争』[4]では、サル以外にも、犬、ネズミ、ゴキブリなどに日本人が例えられたことが記されている。1945年の戦争末期、日本側守備隊2万人が全滅(米軍死者はおよそ7000人)した硫黄島の戦いでは、米軍による掃討作戦で、火炎放射器が用いられた。当時の米軍兵士のインタビューのなかには、その様子を「ネズミの巣窟を一掃」と表現しているものがあるという[5]。白人中心の社会が、有色人種に対して持つイメージには、下等な人間という域を超えて、人間以下の存在・非人間としての表象あるいは端的に動物との類似性を指摘するものが含まれることが、そこにははっきりと現れている。

 

 また、ドイツやイタリアに対するヨーロッパでの戦争と日本に対する太平洋戦争では、人種主義的憎悪をかき立てるプロパガンダの米国における使用は、大きく異なっていたという。ドイツ人を侮蔑する人種主義的表現は多用されず、むしろヨーロッパでの敵はナチスとのみ呼ばれ、対して日本人はジャップとしてさげすまれた。この人種主義的憎悪から生じる論理的帰結は明らかだ。ナチスが悪なのだとすれば、ドイツ人は、ナチスを支持する悪いドイツ人と、ナチスを支持しないよいドイツ人に分割することが可能となる。つまり、戦争の目的は、単純化して言えば、悪いドイツ人を取り除くことになるだろう。対して、もしジャップが邪悪な敵なのだとすれば、すべての日本人は、その本性として(生まれつき)悪ということになってしまう。

 

 ダワーは、こうした人種主義が、悪名高い日系アメリカ人強制収容の背景にあったと指摘している[6]1941年末の真珠湾攻撃と日米間の太平洋戦争の開戦を受けて、1942年、フランクリン・D・ローズヴェルト大統領によって署名された行政命令9066号は、客観的裏付けもないままに、日系アメリカ人12万人余を敵性外国人と見なして、内陸部砂漠地帯の強制収容所に隔離するものであった(1988年にロナルド・レーガン大統領による公的謝罪と一定の補償が行われた)。

 

 米国で生まれ育った二世や三世の日系アメリカ人をも強制収容の対象とするこの行政命令は、日本人を、遺伝的に規定された生物学的実体とみなし、環境の変化と無関係に、アメリカ的価値観とは異質な存在とみなすものだった。この極端で生物学的な人種主義は、太平洋戦争の遂行にとっては憎悪を効率的にかき立てて有益であったかもしれないが、米軍兵士を中心とした連合軍による日本占領を円滑に進め、日本の脱軍事化と「民主主義化」を実行するに当たっては障害となる。もし、日本人がそもそも、その本性において、好戦的で残虐で、指導者に盲目的に従う国民なのだとすれば、比較的短期の占領期間に民主主義化することは不可能となるからだ。むしろ、どんな犠牲を払ってでも、最後の最後まで殲滅すべき敵であるということになりかねない。そこには、敗北して生き残った敵を適切に扱うための占領政策の存在する余地はない。

 

黄色いサルから12歳の子供へ

 太平洋戦争における人種主義という文脈のなかに置き直してみれば、映画『日本における我々の役割』において、日本人そのものではなく、日本人の脳が焦点化されていることは、この過剰な生物学的人種主義が戦後処理にもたらし得るエスニックな緊張を解決するための周到な言説的戦略とも解釈することができるだろう。

 

 日本人という人種が生物学的な実体つまり遺伝的に規定された範疇なのだとすれば、それを占領政策によって一朝一夕に変更することは不可能である。しかし、日本人という人種の特徴が、生物学的基盤を「日本人の脳」に持ちつつも、その脳は世界のそのほかの国民の脳と「同じ物質からできている」のだとすれば、文化的環境に応じた変化への可能性をはらんでいることになるからだ。こうした観点には、「氏より育ち」を信条とし、社会環境の改善や教育を重視する米国のリベラリズムの影響を見て取ることができるだろう。また、生物学的な偏見としての人種主義を批判して、多様な文化を互いに尊重することを理想とした文化相対主義の立場に基づく、フランツ・ボアズに代表される当時の米国の人類学の主流の考え方に近いと見なすこともできる。日本文化論の嚆矢とされる1946年の『菊と刀』[7]で知られるルース・ベネディクトは、ボアズの弟子であり、米国の戦時情報局の協力者でもあった。『菊と刀』という書物そのものが、19446月、ノルマンディー上陸作戦によって勝敗の帰趨が見え始めたヨーロッパ戦線情勢を踏まえた上で、対日戦争での米国の遠くない勝利を想定し、「アメリカがこれまで国をあげて戦った敵の中でもっとも気心の知れない敵」[8]である日本を理解するために開始された研究プロジェクトの成果を元にしたものである[9]

 

人類学的な文化相対主義の基本的な構えは、ベネディクトによって1940年に執筆された人種主義批判のパンフレット的書物『人種主義』において、次のように明快に述べられている[10]

 

  「人間という動物は、他のあらゆる動物に比べて、もっとも幅広い可能性をもっている。彼がどんな人間になるかということは、彼の環境がいかなる可能性を呼び起こすかということに依存している。彼の遺伝的特質は、鳥が泥の巣を作ったり、小枝の巣を作ったりするように特徴化してはいない。それは、きわめて柔軟なものである。」  

 

 生物学的実体の意味合いをを賦与された人種としての「日本人」そのものではなく、「日本人の脳」へ与えられた諸要素、すなわち後進国的な文化や軍国主義的な環境や狂信的な教育こそが、日本人を邪悪にしたのだとすれば、適切な占領政策によって、本来は柔軟なはずの日本人の脳を変えることで、日本人をも変化させることが可能となる。占領軍への教育映画であった『日本における我々の役割』が、米軍兵士たちに伝えようとしたメッセージはまさしく、この点にあっただろう。

 

 このとき見逃してはならないのは、こうした文化相対主義が、生物学的な人種主義と啓蒙的態度を対置する限りにおいて、酒井直樹の言う「宣教師的立場」[11]とも表現できるような、押しつけがましい独善性に満ちていることだ。『日本における我々の役割』もまた、その例外ではない。生物学的な偏見として人種主義を批判する文化相対主義は、必ずしも植民地主義と矛盾するものではないからだ。

 

文化相対主義を肯定する言説は、多様な文化を尊重する多元主義的で民主主義的な欧米の宗主国の文化(後者の意味での文化は、複数の前者の意味での文化を総括するメタレベルの文化概念であることに注意せよ)は、普遍性を持った文化であって、独自であっても狭隘な文化より優れているという位階秩序を想定している。映画のナレーションに現れる「我々が我々自身であることによってアメリカ的なやり方やデモクラシーを示すこと」だけで、暴力によって強制することになしに、日本人の脳を教化することができるという楽観主義の根底には、戦争に勝利した米国が、軍事的また経済的に優越しているだけでなく、文化的にもまた優越しているという信念を疑うことのない人種主義が深い根を張っている。

 

 19514月、朝鮮戦争への対応での米国政府との不一致を理由として、連合軍総司令官を解任されたダグラス・マッカーサーは、米国での聴聞会で対日政策について質問された際の回答のなかで、アングロサクソンやドイツ人が科学や芸術や宗教や文化の発達の度合いとしては45歳ぐらいであるのに対して、日本人を「12歳の少年といったところ」とたとえた上で、次のように続けている[12]

 

  「指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい規範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは基本となる考え方を植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることのできる状況に近かったのです。」  

 

 日本人の精神構造や文化を物質的に支えている「脳」が変化し得るということが意味するのは、日本人はもはや「黄色いサル」すなわち生物学的な運命に従属している動物ではなく、ある特定の文化に適応した人間であると見なされるべきだということである。ただし、いまだ可塑的な脳をもつ未熟な「子供」として扱われなければならないという条件付きのことではあるが。

 

 戦争末期に、米国における日本人に対する人種主義的イメージが、動物と同様の非人間的な存在から、未熟であっても脳をもつ人間へと地位変更したことの効果がもっともめざましい形で表れたのは日系アメリカ人の地位の問題であるとも言えるだろう。タカシ・フジタニが指摘するとおり[13]、強制収容の行われた翌年(1943年)にはすでに、国民共同体からの排除という当初の決定はなし崩しとされて、日系アメリカ人の包摂と総力戦への動員が目指されている。具体的には、日系アメリカ人の入隊は認められ、全員が日系アメリカ人から成る連合戦闘部隊までもが創設されている[14]

 

日本/脳/米国

 「日本人の脳」を米国による日本占領での最大の問題とする視点は、第二次大戦をめぐる諸問題の中のいくつかの側面を隠蔽することによって可能となっている。そこで意図的に無視されたことがらは大きく三つの要素に分けることができるだろう。

 

 まず、日本人ではなく「日本人の『脳』」が焦点となったことは、日本の戦争責任をあいまいにして無視することを可能とした。「脳に責任がある(”blaming the brain”)」という言い回しは、ある種の不可抗力性のニュアンスを持ち、判断主体である人間にとっては選択の余地がなかったことを意味する。さらに、軍国主義者が国家神道を利用した「洗脳」によって、国民(の脳)に狂信的な選民思想を植え付けていたというシナリオは、天皇と日本国民を免罪することにつながる。天皇制のカリスマと近代的な官僚的統治機構を保持した間接統治を行うことは、言語的能力や日本の文化慣習への専門知識を欠いていた占領軍の利害に合致していた。

 

 次に、問題とすべきは、「『日本人の』脳」だけが焦点化されることによって、「米国人の脳」もまた操作されていたという可能性が隠蔽される点である。20世紀の二度の大戦のような総力戦においては、マスメディアなどをも活用した社会工学的な国民の心理操作が行われることで、国力を根こそぎに動員することが可能となった。その意味では、政治や軍事行動への大衆動員は、ファシズムやナチズムに特有の現象と見なすことはできない。米軍兵士の「脳」もまた、日本人を黄色いサルと見なすプロパガンダによって戦意高揚させられ、その後は同じ(可塑的な)脳を持つ人間として説明する映画を見せられることによって、デモクラシーの宣教師としての立場をとることを教え込まれたのである。

 

 三つ目の無視された要素とは、「日本人の脳」を見る主体の場所に関わる問題である。最初に指摘したとおり、「日本人の脳」が登場する映画『日本における我々の役割』は、米軍兵士を排他的に観客として想定している。だが、観客はそれだけにとどまるわけではない。この映画で示された第二次大戦に関する解釈を受け入れた米軍兵士の日本での言動は、占領下の日本人を観客とした模範的パフォーマンスとしての意義を持っている。映画は、米軍兵士に向かって、彼らが率直でアメリカ人らしくあるならば、その姿から「日本人の脳」はデモクラシーを学ぶことができると語りかけるからだ。さらには、この入れ子状になった見る/見られるの劇場的構造を、ノンフィクションとして描いたダワーの『敗北を抱きしめて』が、日米両国で肯定的に受け入れられたということは、何を意味しているだろうか。

 

 ここで、映画『日本における我々の役割』に立ち戻って、その中で「日本人の脳」の引き起こした戦争の被害者がどう描かれているか、という点に注目してみよう。すると、そこに現れる被害者のイメージは二種類に限られていることが判明する。それは、傷つけられ虐殺されたアジア系と思われる女性や子どもと、戦闘によって死傷した白人と思われる男性兵士である。そこに出現するのは、軍事的に勝利した米国が、日本軍がアジアで非戦闘員に行った残虐行為を、軍国主義者の計画によって狂信的になった「日本人の脳」が行った不可抗力の事件として寛大に許すことで、米国の道徳的優位性をも証明するという構図である。それは、日米双方の国民にとってはある意味で慰安的なイメージであるかもしれない。だが、そこでは、日本軍に対して15年にわたる頑強な抵抗によって大日本帝国を崩壊へと導いた中国の人々の姿は消去され、アジアでの植民地責任や戦争責任の問題は日米関係の一部としてのみ表象されている。

 

 では、「日本人の脳」をアジアという立ち位置からみたとき何が見えるだろうか。この問いが思い起こさせるのは、敗戦後に自らの脳を用いて民主主義を選ぶことをそれなりに認められた日本とは異なり、自らの脳によって自らの未来を決めることを許されなかった東アジアの人々(たとえば沖縄や韓国の住民)の姿だ。そうした人々は、大日本帝国の敗北を抱きしめる暇もなく、戦禍から戦禍へと、米国のヘゲモニーの下での冷戦という新たな戦時下へと暴力的・強制的に巻き込まれていった。したがって、「日本人の脳」が絡め取られつつも隠蔽している社会的構図とは、米国と日本とアジアをめぐる排除と包摂の地政学ということもできるだろう。

 

 ここでは、占領軍の教育用短編映画を、製作者の想定された意図に逆らって読むことを通じて、脳科学からは遠く離れて、脳を異化しつつ思考することを試みた。もちろん、短絡的に、脳の言説とはイデオロギーであると主張したいわけではない。しかし、脳という可塑的な身体性が生物学と文化環境をつなぐインターフェースと見なされている以上、隠喩としての脳が、遺伝子や人種よりも都合良く、人間における変更可能なものと変更不可能なものをうまく配分する仕掛けとして、政治的・社会的文脈の中に登場することは避けることはできない。

 

 灰色の脳細胞の塊には還元できない「隠喩としての脳」という問題設定が、ニューロエシックスの領野に含まれるのかどうかは定かではない。だが、その歴史性を考えることには、挑戦するだけの価値があり、他者に対する責任性というエシックスの次元が含まれていることは確かだ。

 


 

[1] ジョン・ダワー著、三浦陽一、高杉忠明訳、『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人(上下)』、岩波書店、2001年(原著1999年)。

[2] 『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人(上)』、279283頁。

[3] このフィルム(”Our job in Japan”)は、市販の戦史DVDであるKit parker Films, VCI Entertainment, “Great Generals Vol. 1”, 2001に収録されている。

[4] ジョン・ダワー著、猿谷要監修、斉藤元一訳、『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別』、平凡社、2001年(原著、1986年)。

[5] 『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別』、178頁。

[6] 『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別』、156頁。

[7] ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳、『菊と刀』、講談社学術文庫、2005年(原著、1946年)。

[8] 『菊と刀』、11頁。

[9] たとえば、道場親信、『占領と平和 <戦後>という経験』、青土社、2005年の第一部に詳しい紹介と分析がある。

[10] ルース・ベネディクト著、筒井清忠、寺岡伸吾、筒井清輝訳、『人種主義 その批判的考察』、名古屋大学出版会、1997年(原著、1940年)、103頁。

[11] 酒井直樹、『希望と憲法』、以文社、2008年、145頁。

[12] 『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人(下)』、406頁。

[13] T・フジタニ著、小澤祥子訳、「殺す権利、生かす権利 アジア・太平洋戦争下での日本人としての朝鮮人とアメリカ人としての日本人」、岩波講座アジア太平洋戦争3『動員・抵抗・翼賛』、2005年、181-216頁。

[14] こうした部隊の存在は、米国を中心とする連合国側が、日本側のプロパガンダ(英米帝国主義からのアジアの解放)に対抗する上で有用であった。


 

 

 

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美馬達哉(みま・たつや)/1966年、大阪生れ。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。現在、京都大学医学研究科准教授(高次脳機能総合研究センター)。専門は、臨床脳生理学、医療社会学、医療人類学。著書に、『〈病〉のスペクタクル 生権力の政治学』(人文書院、2007年)。

 

 


© Tatsuya Mima 2009/08
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