○第90回(2010/3)

本コラム85回(2009年7月)に図示した「書店で本を買っていただくまでのトーナメント」において、2回戦は、電子化されたコンテンツ(グーグル全文検索・電子書籍など)へのアクセスvs図書館からの借り出しvs書店での書籍の購入という三つ巴の闘いである。

三つ巴の闘いは、それぞれの立ち位置の微妙なブレによって、即座に交替可能な2対1の闘いとなる。それが実に緊張感に満ちた闘いであることは、例えばマカロニ・ウェスタンの名作“The Good, the Bad, and the Ugly”(邦題『続夕陽のガンマン』のクライマックス、クリント=イーストウッド、リー=ヴァン=クリーフ、イーライ=ウォラックの決闘シーンに見られるとおりであるが、本を巡るこの三つ巴の闘いでは、図書館は、リアルな書籍のサービスという面では書店に近く、コンテンツの保存という面では電子化されたコンテンツに近い。
書店にとって図書館が重要な存在となるのは後者、自らとは違う面においてである。役割が違うからこそ共闘できるからである。

そんなことを改めて考えたのは、1月26日(火)、愛媛県図書館協議会に招かれて松山で行った講演のタイトルが、『書店と図書館の連携』であったからだ。

図書館と書店の役割の共通点と相違点(それぞれのアドヴァンテージ)のヒントを、講演に先立って読んだ『ず・ぼんN』の巻頭、横芝光町立図書館の坂本成生氏のインタビューで得た。横芝光町立図書館(千葉県)は、人口三万人に満たない静かな町にある図書館だが、インターネットを様々に活用したサービスが評価され、2007年のライブラリー・オブ・ザ・イヤーの優秀賞を受賞している。

“ひとつ展示のテーマを決めたら、それをうんと長いことやって保たせる、という今までの図書館の考え方ではなく、展示の資料を集めて、それを一気に売り切ったら次の展示に入れ替える、という発想を横芝光町立図書館ではしている。貸し出しから返却まで二週間は猶予があるわけですから、戻ってきたら書庫にしまえばいいだけで、展示を片づける手間というのはないんです。”(P17)と、坂本氏は言う。

“図書館員からは、展示に関して「でも図書館って本屋さんと違って同じ本が何冊もあるわけじゃないから、せっかく揃えても借りられて歯抜けになると、みすぼらしい展示になるよね」と聞くこともありますが。”という質問にも、

“展示って、基本的に一冊あればできると思うんです。たとえば横芝光町立図書館では、カウンターの上に展示台が置いてあって「本日のおすすめ」というキャプションをつけています。別の本を借りに来た人が、目についたからとついでに借りて行ったりする。その一冊の展示も、やっぱり展示なんですよ。誰かが亡くなったという情報が出たら、その人の本をカウンターに置いて、借りられたら、その展示はおしまいだと。そういう風に考えれば、歯抜けになることは考えなくてもいい。“(P18)

と返す。この闊達な発想は、デパート出身の図書館員坂本成生ならではのもの、と言えるかもしれない。

“デパートがエスカレーター前にワゴンを出して「タイムサービス」をやるのと同じ発想ですよ。今日はこの商品が出そうだな、というときに、それをエスカレーター前に集めて、「ただいま限りのタイムサービスでございます」とやるんです。そうするとワッと集まってくるから、それで商品がなくなっちゃえば、最後はワゴンを片付けるだけ。”(P19)

一点一冊ずつのフェアなど、書店人には想像しにくいが、複本が例外的な図書館では基本的にそうするしかない。そして、そうした展示には意義がある。1冊ずつ借りられて行って展示がどんどん崩れていっても、考えてみればそれ(利用者に借りてもらうこと)こそ目的であるのだから、何ら問題ではない。

一方、図書館の「フェア」には、書店店頭では叶わぬ可能性がある。商品としてではない、資料としての本には、絶版、品切という属性がないからだ。そのことは、坂本氏の、ある意味では当たり前過ぎる次の言葉に、集約されているとも言える。

“やっぱり、本をエンドユーザーに届けるための機関であるということを考えれば、大事なのは、昔帰りするみたいですけど、貸し出しよりも保存の方なんですよね。書店になくて図書館にある機能は、保存ですから。”

図書館と書店の、そうした違いを痛感することが、最近続けて起こったのである。
最近、ぼくは、自分がジュンク堂PR誌『書標』に書評を寄せた本を中心に、ジュンク堂難波店の一角で、「店長本気の一押し!」というミニフェアを行っている。

1月は山口泉『アルベルト・ジャコメッティの椅子』(芸術新聞社)、2月は劉暁波『天安門事件から「08憲章」へ』(藤原書店)であった。1月には、山口氏の小説の背景となった80年代、セゾン文化が隆盛を極める日本と民主化運動が激しさを増した韓国、それらをテーマとした本を集めようとしたが、これが、無い。2月には、「天安門事件」に関する本を集めようとしたが、これも、無い。それぞれのテーマについて、もちろんその当時には関連書が何冊も出ていたのだが、現在ではほとんどが品切重版未定もしくは絶版となっている。フェアのリストを作りながら、図書館ならもっと多様な書目を選べるのだろうな、と痛切に感じた。坂本氏の言葉通り、“書店になくて図書館にある機能は、保存”なのである。

一点につき何冊も展示してヴォリュームを出せる書店、一点一冊だがより多様な書目を揃えられる図書館。それぞれの特性を生かした「フェア」が相補的に読者に資することこそ、『書店と図書館の連携』と言うべきだろう。

 

 

<<第89回   第91回>>

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)
1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。
1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。
著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)