○第91回(2010/4)
書店で本を買っていただくまでの「トーナメント」において、3回戦=決勝戦は、ネット書店vs.書店の対戦である。前回コラムで、ぼくは2回戦の三つ巴の闘いの中で書店と図書館が連携しうる可能性を示しただけで、それが現実化していることを例証できたわけではないし、更に言えば、書店と図書館の共通の武器である冊子体の書籍が電子化されたコンテンツに打ち克つことを明示し得たわけではない。ただし、後者については、これまでの86回以降の本コラムで、いくつかの点から冊子体の書籍の優位性を挙げてきたし、そもそものモチーフは、書店や書籍の生き残りの可能性を探ることであり、デジタル・コンテンツやインターネット空間の撃退や殲滅(そんなことは不可能であり、また目指すべき課題でもない)ではないのだから、トーナメントを勝ち抜くと言っても、相手を打ち負かすことに血眼になる必要はなく、書店、図書館、紙の本の将来にわたる存在理由(レゾン・デートル)を明らか
にし、それぞれが生き抜く根拠を示し得ればよい、と考える。
さすれば、3回戦=決勝戦も、目指すところはネット書店の駆逐ではなく、その攻勢を前にリアル書店(※1)が白旗を上げることなく、自らの存在理由を見極め、読者にとっての魅力をアピールしていくことと言える。
まずは、ネット書店の優位性(アドヴァンテージ)を見極めておこう。アマゾンの上陸が、予想通りにリアル書店を圧迫し、その進捗が多くのリアル書店を窮地に追い込んでいったのは事実であるのだから、そこには間違いなく何らかの優位性(アドヴァンテージ)がある筈である。それを見極めないことには、リアル書店の「反撃」もままならない。
その一つが、アマゾンの代名詞ともなった「ロングテール」;ベストセラーによって売り上げを伸ばすのではなく、実在のどんな巨大書店にも在庫できない点数を扱い販売することによって、1冊ごとの販売数はわずかでもそれが積み重なった時に大きな売上を計上する、という戦略である。そのために巨大な流通倉庫と物流のしくみを用意し、あらゆる読者のニーズに応える。読者はホームページ上で関心のある書籍を検索でき、購入できる。
一方、読者の送料負担額も無料もしくは低く抑えられ、気軽に自宅配送を依頼することができるのも、ネット書店の大きな強みである。書店まで足を運ぶ面倒さもさることながら、その為に必要な交通費もばかにならないからである。多忙な現代人が、書店へ出向く時間を割くことを惜しまなければならない事情も、ネット書店の隆盛の一つの要因であろう。
それに対してリアル書店の強みは、何といっても現物がそこにあることである。書籍の購入動機の第一位が長らく「現物を見て」というものであり続けている以上、リアル書店の存在理由はそう簡単に小さくならない。読書とは、言ってみれば読者がそれに必要なお金と時間を賭ける行為だから、十分に吟味した上で購入したいと思うのは当然のことである。
ネット書店もその弱点をカバーすべく、詳しい内容紹介を付し、アマゾンは「なか見!検索」で書店での立ち読み感覚にも対抗、カスタマーレビューや「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」と関連書籍を紹介するなど、ネット書店ならではのサービスで読者をひきつける。それでもモノとしての書籍そのものは再現しきれず、進化したカタログ販売であることには違いはない。最終的な現物の優位は、そう簡単には揺るがないと思う。
また、「ロングテール」がアマゾンの代名詞であることについては、ジュンク堂こそ元祖「ロングテール」派だと、ぼくは以前から反論している(本コラム第57回、『希望の書店論』P36〜)。HPのカタログ掲載は無限に近いが、少なくとも現在流通している書籍のすべてを書棚に収めた書店は、原理的には可能である。実際にすべてを並べている訳ではないにしても、理念としては、ジュンク堂はそのことを念頭に置いている。「ロングテール」を大事にしながら全国に大型店を展開してきた結果、出版社品切本を含め在庫点数には、ネット書店に負けない自信がある。全支店の在庫状況を素早く検索でき、速やかな調達手段を確立し、書籍を探すお客様のご満足を何よりも目指している。(※2)
一方、書店に足を運ばなくてもよいというネット書店の利便性自体に代替、対抗できるものを、リアル書店は持たない。それに対抗するには、書店に足を運んでいただくだけの付加価値を、書店空間そのものが持つほかない。
何よりも、書棚が林立している空間そのものの持つ魅力、その「本の樹海」に迷い込むことによる思いも寄らない新しい発見は、リアル書店ならではのものである。(※3)そして、アマゾンの持つレコメンド機能にあたるものは、リアル書店にあっては、昔ながらのことではあるが、「棚づくり」そのものであろう。読者に支持される魅力的な本の並びを実現した書棚こそ、書籍にとって最高のレコメンド・ツールであると信じる。
そうしたアドヴァンテージを踏まえて、柴野京子氏はリアル書店を、“おそらく生産に従属しない、流通独自の作用”を持つ「購書空間」と名付けたのではなかったか(『書棚と平台』弘文堂 2009 P108)。
“そのようなプロフェッショナルが介在しながら、書店や図書館のような組織と個人が相互につながりあい、リテラシーをもつもたないにかかわらず、人と出版物とをふたたび媒介して、可能態としての「流通」を形成する。長谷川一のいう「コト編み」、エディターシップである。そのエディターシップは、ばらばらに点在するものを「意味ある集積」、アソートメントに組み換える。それらを通じて実際に人が本と出合い、手渡される局面で、流通は実態に生まれ変わる。そこではサイバーとリアルの両方のネットワークを利用することができる。このようなネットワークが幾重にも重なり合って大きな圏を形成するとき、そこに新たな購書空間が生まれる。”(同 P217)
(※1)「リアル書店」という呼び方を嫌う人も多く、そのことにはぼく自身も共感するが、すでに人口に膾炙した言葉でもあり、ネット書店と比較する文脈の中では特に論述が明確になるので、ここでは採用する。
(※2)新刊本屋として、品切れ、絶版本はどうしようもない。アマゾンでは、古書店や個人が「中古品」を販売するシステムがあるが、こうした「軒下貸し」商法は、インターネット特有のものなので、敢えてここでは取り上げない。(第83回、84回参照)
(※3)第85回
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